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社長ブログ

別れの朝
投稿日:2007年12月2日

母親が亡くなって三年目になります。
悪性リンパ腫を不屈の精神力で克服したのですが・・・
最後は肝臓がんで亡くなりました。
若い頃から病弱でいつも病院通いをしていた母でした。
病気に対して異常なほど敏感で直ぐに病院に行っていたので
病弱にも関わらず81歳まで生きました。
悪性リンパ腫で長い事日赤病院に通っていたのですが
肝臓がんが見つかり手術を勧められたのですが
母に「肝臓が悪くなっているからお医者さんは手術した方が良い
と言ってるけどどうする?」と聞くと
「徹、私は今まで何回も手術してきたけどもうこの年になって
手術はしたくない」と言います。
母親はカテーテルでの治療も嫌がったのですが
何とか誤魔化しカテーテルでの抗がん剤の治療は受けさせました。
肝臓は大きな臓器だし高齢なので進行も遅いので
たちまちどうのと言う事はないとの先生の話でしたが・・・
急に体力が落ちたのでホスピタルの充実した病院に入院させる
ことにしました。
母親が入院する日と私がアメリカのシアトルに招待旅行で
行く日が重なりました。
早朝、母親の部屋に行き「お母ちゃんわし今日から五日くらいアメリカ
に行くから病院でしっかり養生するんよ」
と言うと「徹、ちょっと話があるんじゃが」と言います。
「今日は時間がないから帰ってからゆっくり聞くけん」
と言いアメリカに出かけました。
アメリカから帰ると母親は意識が無くなっていました。
「おかあちゃん徹よ帰ってきたよ」
と声をかけても返事がありません。
母にはブルガリの香水を買ってきたのですが・・・
それから10日あまりで亡くなりました。
何故あの時話を聞いてあげなかったのかと
今でも悔やんでいます。

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