佐々木順建設は広島の工務店、
自然素材の木の家でつくる注文住宅
二世帯住宅もおまかせ下さい
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会社案内

社長メッセージ

社長からみなさまへ

佐々木順建設株式会社 二代目社長 一級建築士 佐々木 徹

子供のころから家づくりを手伝ってきました

私は瀬戸内海に浮かぶ能美島の沖美町で昭和25年に生まれ、温暖な自然環境と、人柄の優しい土地柄に育まれながら4歳まで過ごしました。
長男だったので、小学校5年生くらいには家業の工務店の手伝いをさせられ、現場で職人気質の父親に厳しく鍛えられました。
その頃の日本の住宅は勿論大工さんが墨つけをして手刻み、まさに「手塩にかけた家造り」をしていました。 無垢の木と竹こまいに土壁の自然素材の家でした。

夏涼しく冬暖かい家を追求する「職人気質」を受け継いでいます。

大工の職人から身を起こした父、順助が創業者で、その一字が社名の由来です。中学3年の時、同じクラスだった女房、4つ違いの弟(専務)と二人の息子、誠実で真面目な社員、良きスタッフに恵まれております。
私は大工の経験はありませんが創業者から受け継いだ「職人気質」を忘れずに、広島の気候風土に一番合った長寿命な健康住宅を造り続けて行きたいと思っております。

広島市内では真冬でも一日の平均気温が零下を下がるような事はありません。地球の温暖化の影響もあり毎年夏には高温多湿になる広島では「夏涼しい家」を建てるのが一番肝要な事と思っております。
機械空調になるべく頼らない、太陽の恵みと自然の風の流れを考えた自然素材住宅こそが真の省エネ住宅と考えております。

納得と安心をお伝えたいしたいから、住まい塾を開催しています。

「3時間で一生の得をした」大変喜んで頂いている「幸福を生む住まい塾」でお客様には十分に勉強して頂いて住まい造りに取り組んで頂いております。
どうぞお気軽な気持ちで目から鱗の「幸福を生む住まい塾」にお越し下さい。
→住まい塾はこちら

会社概要・地図

概要

代表者
佐々木 徹

創業
1937年(昭和12年)1月

会社設立 (法人化)
1964年(昭和39年)7月29日

所在地
「本社・第一ショウルーム」
広島県広島市南区東雲本町3丁目5番20号
「東雲加工場」
広島県広島市南区東雲本町1丁目2番13号
「廿日市倉庫」
広島県廿日市市上平良1443-8

資本金
2000万円

一級建築士事務所 広島県知事17(1)0373号
建設業許可番号 広島県知事(特-26)第7716号
宅地建物取引業 広島県知事(10)5166号
品質保証登録 (1-3401)第00886-1号
JIO A600120
住宅あんしん保証 01706
公庫住宅調査技術者登録 公庫登録番号 16340196

地図

本社・第一ショウルーム

広島県広島市南区東雲本町3丁目5番20号
■1階は無垢材のこだわりと、自然が香る談話室。
自然素材展示ルームもあります。
■2階は住まいづくりのための、セミナールーム。
■3階は役立つ家づくりの資料や情報を展示。

本社・第一ショウルーム地図

東雲加工場

広島県広島市南区東雲本町1丁目2番13号

廿日市倉庫

広島県廿日市市上平良1443-8

オープンハウス「能美の家」

土壁を塗った伝統工法の天然木と自然素材の家。
瀬戸内海に沈む夕陽が海面をキラキラ照らすのがとてもきれいです。ご希望の方には事前に予約して頂ければご案内いたします。
住所:江田島市沖美町是長
オープンハウス「能美の家」

「能美の家」玄関・リビング・洗面所

佐々木順建設のあゆみ

沿革

昭和12年1月
能美島沖村是長に佐々木建設は誕生しました。

昭和 2年
業者佐々木順助15歳の時、能美島沖村にて大工棟梁、角島朝太郎のもとへ弟子入りする。昭和12年能美島沖村是長にて建築請負業を創業。

昭和28年
41歳の時、広島市にて一旗あげようと佐々木建設を開業。

昭和39年
資本金300万円にて佐々木建設法人化の際、佐々木順建設に改名。

昭和54年
現社長、中堅ゼネコンの大阪支店にて、
7年の修業を経て佐々木順建設(株)入社。
2代目社長大阪でのゼネコン修行時代
2代目社長大阪でのゼネコン修行時代

昭和62年
二代目、佐々木徹、社長に就任。

平成16年
平成16年ショウルーム「家づくり発見館」 を新しくオープン。本社も移転。

創業者の素顔

創業者 佐々木 順助
創業者 佐々木 順助

昭和12年1月に能美島沖村是長で佐々木順建設の前身が誕生しました。
創業者は佐々木 順助。大正元年生まれの気骨のある職人気質のある大工職人でした。
ここで順助の男気あふれるエピソードをご紹介します。

能美島から広島市へ

能美島にて若干25才にて個人で佐々木建設を始めた創業者佐々木順助は昭和28年一旗上げようと広島市に出てきました。
個人住宅のほかに故郷の保育所や小学校等の工事を請負い、能美町長よりその優秀な工事に感謝状を頂き、着実に実績と信頼を築いていきました。
能美町長より頂いた感謝状

広島から出て来て10年目に東霞町に社屋を構えたと同時に法人化して佐々木順建設に名前を換えました。
ここでも町内の集会所等の工事を請負、町内会長より感謝状を頂くことになりました。施工主様の利益を一番に考え、しっかりした構造の公共建物を建築してきたノウハウは、その後のビル建設や店舗建築へ活かされました。

幸せを生む住まいへの“夢”

地域に根ざした工務店として、当社は在来工法の新築はもちろん、増改築、リフォームも多く手がけてきました。
住宅メーカーのプレハブ住宅やPC住宅、ツー バイフォー住宅が如何に可変性に乏しい、増改築やリフォームに適さないかの事例を数限りなく体験して、お客様の怒りや悲しみの声を聞いてきました。昔から伝わっている在来工法しか自由に増改築やリフォームが出来ない現実を再認識しました。
広島の気候風土に合い、ライフスタイルの変化にも対応できる可変性のある住宅を造るには在来工法しかないと確信して2005年に当社のこだわりが詰まった「家づくり発見館」をオープンし、本社を移転しました。

~天然木と自然素材を多用し、自然の恵み(太陽、光、風)を充分に取り入れた住まいづくり~
これは決して譲ることのできない当社のこだわりです。昔も今もこれからも幸せを生む住まいへの“夢”を皆さんと一緒に叶え続けていきます。

私が2代目社長です

瀬戸内海に浮かぶ能美島の沖美町是長で生まれ、温暖な自然環境と、人柄のやさしい土地柄に育まれました。

代表取締役社長・一級建築士 佐々木 徹
私は瀬戸内海に浮かぶ能美島の沖美町是長で生まれ、温暖な自然環境と、人柄のやさしい土地柄に育まれながら4歳まで過ごしました。長男ということもあり、 小学校4年生の頃から、現場の清掃、片付けを手伝わされていました。中学生にもなると、住宅の基礎のコンクリート打設を手伝っていました。
親父(創業者順助)は、私の生来の手先の不器用さを見抜いていたせいか、大工の修行をしろとは言わず、大学に行かせて建築士の資格を取らせてくれました。
卒業後は東京本社の中堅ゼネコンに就職し、大阪を拠点に多種多様な建物の現場監督として、6年余り勤めました。

親父も年もとってきたし、私が一級建築士、宅地建物取引主任者の資格も取得した事もあり、昭和53年に親父の会社に入りました。
組織の大きい所から、小さ な工務店に帰り、何から何まで親父のやり方が古く思えて、帰った当初、2年ぐらいは親父といろいろなことでよく衝突しました。今考えると商売のイロハもわ からないのに生意気なことを親父に言ったものだと、深く反省しています。ちょうど第二次石油ショックの後で、仕事量もあまり無く、女房と二人で手作りチラシを作り、会社の近隣地域を一軒一軒ポスティングしたりしました。今ではそれも良い思い出です。

社長メッセージ

社長からみなさまへ

佐々木順建設株式会社 二代目社長 一級建築士 佐々木 徹

子供のころから家づくりを手伝ってきました

私は瀬戸内海に浮かぶ能美島の沖美町で昭和25年に生まれ、温暖な自然環境と、人柄の優しい土地柄に育まれながら4歳まで過ごしました。
長男だったので、小学校5年生くらいには家業の工務店の手伝いをさせられ、現場で職人気質の父親に厳しく鍛えられました。
その頃の日本の住宅は勿論大工さんが墨つけをして手刻み、まさに「手塩にかけた家造り」をしていました。 無垢の木と竹こまいに土壁の自然素材の家でした。

夏涼しく冬暖かい家を追求する「職人気質」を受け継いでいます。

大工の職人から身を起こした父、順助が創業者で、その一字が社名の由来です。中学3年の時、同じクラスだった女房、4つ違いの弟(専務)と二人の息子、誠実で真面目な社員、良きスタッフに恵まれております。
私は大工の経験はありませんが創業者から受け継いだ「職人気質」を忘れずに、広島の気候風土に一番合った長寿命な健康住宅を造り続けて行きたいと思っております。

広島市内では真冬でも一日の平均気温が零下を下がるような事はありません。地球の温暖化の影響もあり毎年夏には高温多湿になる広島では「夏涼しい家」を建てるのが一番肝要な事と思っております。
機械空調になるべく頼らない、太陽の恵みと自然の風の流れを考えた自然素材住宅こそが真の省エネ住宅と考えております。

納得と安心をお伝えたいしたいから、住まい塾を開催しています。

「3時間で一生の得をした」大変喜んで頂いている「幸福を生む住まい塾」でお客様には十分に勉強して頂いて住まい造りに取り組んで頂いております。
どうぞお気軽な気持ちで目から鱗の「幸福を生む住まい塾」にお越し下さい。
→住まい塾はこちら

会社概要・地図

概要

代表者
佐々木 徹

創業
1937年(昭和12年)1月

会社設立 (法人化)
1964年(昭和39年)7月29日

所在地
「本社・第一ショウルーム」
広島県広島市南区東雲本町3丁目5番20号
「東雲加工場」
広島県広島市南区東雲本町1丁目2番13号
「廿日市倉庫」
広島県廿日市市上平良1443-8

資本金
2000万円

一級建築士事務所
広島県知事17(1)0373号
建設業許可番号
広島県知事(特-26)第7716号
宅地建物取引業
広島県知事(10)5166号
品質保証登録
(1-3401)第00886-1号
JIO A600120
住宅あんしん保証 01706
公庫住宅調査技術者登録
公庫登録番号 16340196

地図

本社・第一ショウルーム

広島県広島市南区東雲本町3丁目5番20号
■1階は無垢材のこだわりと、自然が香る談話室。
自然素材展示ルームもあります。
■2階は住まいづくりのための、セミナールーム。
■3階は役立つ家づくりの資料や情報を展示。

本社・第一ショウルーム地図

東雲加工場

広島県広島市南区東雲本町1丁目2番13号

廿日市倉庫

広島県廿日市市上平良1443-8

オープンハウス「能美の家」

オープンハウス「能美の家」
土壁を塗った伝統工法の天然木と自然素材の家。
瀬戸内海に沈む夕陽が海面をキラキラ照らすのがとてもきれいです。ご希望の方には事前に予約して頂ければご案内いたします。
住所:江田島市沖美町是長

「能美の家」玄関・リビング・洗面所

佐々木順建設のあゆみ

沿革

昭和12年1月
能美島沖村是長に佐々木建設は誕生しました。

昭和 2年
業者佐々木順助15歳の時、能美島沖村にて大工棟梁、角島朝太郎のもとへ弟子入りする。昭和12年能美島沖村是長にて建築請負業を創業。

昭和28年
41歳の時、広島市にて一旗あげようと佐々木建設を開業。

昭和39年
資本金300万円にて佐々木建設法人化の際、佐々木順建設に改名。

昭和54年
現社長、中堅ゼネコンの大阪支店にて、
7年の修業を経て佐々木順建設(株)入社。
2代目社長大阪でのゼネコン修行時代
2代目社長大阪でのゼネコン修行時代

昭和62年
二代目、佐々木徹、社長に就任。

平成16年
平成16年ショウルーム「家づくり発見館」 を新しくオープン。本社も移転。

創業者の素顔

創業者 佐々木 順助
創業者 佐々木 順助
昭和12年1月に能美島沖村是長で佐々木順建設の前身が誕生しました。
創業者は佐々木 順助。大正元年生まれの気骨のある職人気質のある大工職人でした。
ここで順助の男気あふれるエピソードをご紹介します。

能美島から広島市へ

能美島にて若干25才にて個人で佐々木建設を始めた創業者佐々木順助は昭和28年一旗上げようと広島市に出てきました。
個人住宅のほかに故郷の保育所や小学校等の工事を請負い、能美町長よりその優秀な工事に感謝状を頂き、着実に実績と信頼を築いていきました。
能美町長より頂いた感謝状

広島から出て来て10年目に東霞町に社屋を構えたと同時に法人化して佐々木順建設に名前を換えました。
ここでも町内の集会所等の工事を請負、町内会長より感謝状を頂くことになりました。施工主様の利益を一番に考え、しっかりした構造の公共建物を建築してきたノウハウは、その後のビル建設や店舗建築へ活かされました。

幸せを生む住まいへの“夢”

地域に根ざした工務店として、当社は在来工法の新築はもちろん、増改築、リフォームも多く手がけてきました。
住宅メーカーのプレハブ住宅やPC住宅、ツー バイフォー住宅が如何に可変性に乏しい、増改築やリフォームに適さないかの事例を数限りなく体験して、お客様の怒りや悲しみの声を聞いてきました。昔から伝わっている在来工法しか自由に増改築やリフォームが出来ない現実を再認識しました。
広島の気候風土に合い、ライフスタイルの変化にも対応できる可変性のある住宅を造るには在来工法しかないと確信して2005年に当社のこだわりが詰まった「家づくり発見館」をオープンし、本社を移転しました。

~天然木と自然素材を多用し、自然の恵み(太陽、光、風)を充分に取り入れた住まいづくり~
これは決して譲ることのできない当社のこだわりです。昔も今もこれからも幸せを生む住まいへの“夢”を皆さんと一緒に叶え続けていきます。

私が2代目社長です

瀬戸内海に浮かぶ能美島の沖美町是長で生まれ、温暖な自然環境と、人柄のやさしい土地柄に育まれました。

代表取締役社長・一級建築士 佐々木 徹
私は瀬戸内海に浮かぶ能美島の沖美町是長で生まれ、温暖な自然環境と、人柄のやさしい土地柄に育まれながら4歳まで過ごしました。長男ということもあり、 小学校4年生の頃から、現場の清掃、片付けを手伝わされていました。中学生にもなると、住宅の基礎のコンクリート打設を手伝っていました。
親父(創業者順助)は、私の生来の手先の不器用さを見抜いていたせいか、大工の修行をしろとは言わず、大学に行かせて建築士の資格を取らせてくれました。
卒業後は東京本社の中堅ゼネコンに就職し、大阪を拠点に多種多様な建物の現場監督として、6年余り勤めました。

親父も年もとってきたし、私が一級建築士、宅地建物取引主任者の資格も取得した事もあり、昭和53年に親父の会社に入りました。
組織の大きい所から、小さ な工務店に帰り、何から何まで親父のやり方が古く思えて、帰った当初、2年ぐらいは親父といろいろなことでよく衝突しました。今考えると商売のイロハもわ からないのに生意気なことを親父に言ったものだと、深く反省しています。ちょうど第二次石油ショックの後で、仕事量もあまり無く、女房と二人で手作りチラシを作り、会社の近隣地域を一軒一軒ポスティングしたりしました。今ではそれも良い思い出です。

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