スミレちゃん 鳥取の野良猫から長男に拾われて 広島の我が家で飼われるようになった スミレちゃん。
何年もなついてくれず困りました。
先住民の柴犬リキ君へは敵愾心向きだし
オデブリンヤマト君にもすぐに猫パンチくらわします。
リキ君とヤマト君は兄弟の様に仲が良いのに
FB仲間の投稿写真でネコちゃん同士が寄り添って仲良くしているのを
見るたびにわが家のヤマト君とスミレちゃんもあのように仲が良かったら
良いのになあ~とため息が出ます。
リキ君は最初から家の中で飼っています。
ヤマト君は生後2か月くらいの時に納屋で生まれた野良猫です。
持ち主に水に浸けられて殺されかかっていたのをその家に大工仕事で
行っていた次男が助けて持ち帰りました。
野良猫出身のスミレは時々外を見つめていることがあります。
鳥取であのまま野良猫を続けていた方が幸せだったのかなあ~
なつかないときにはよく思っていました。
しかし最近では私がマッサージチェアーに身をゆだねてテレビを見ていると
すぐにやって来て写真の様にそばに来て甘えて来ます。
スミレは今は少しは自分を幸せだと思ってくれているでしょうか?
「広島で自然素材を使った木の家なら佐々木順建設にお任せください。」
「次回の住まい塾は11月8日に開催致します。」
Facebookの友達でもありリアルに虎徹や小雪や小夏を 譲って頂いた向井さんから送って頂いた老船長のLOG BOOKを読みました。
現在88歳の山崎保彦さんは上海で昭和6年に生まれました。
中学生の時上海から命からがらひとりで最後の輸送船吉林丸で日本に帰国されました。
中学2年生の時に広島の原爆にも遭われましたが、郊外の軍需工場にいて被爆はされませんでした。
当時は翠町に住まれていたそうです。
小学校は私と同じ皆実小学校だったそうです。
商船大学を卒業されて外国航路の船員さんになられました。
大型のタンカーの3等航海士から船長になられた人生を航海日誌の形で書かれていました。
70歳まで現役で活躍されて、今は瀬戸内海の愛媛県の弓削島の丸太小屋で果樹と作陶生活で悠々自適な生活をされておられるようです。
88歳で頑張っておられます。
切れ者
前にも話しましたが私は関西方面で7年間現場監督の修行をしました。 そして色んな上司の人のもとで現場修行しました。 それぞれ長所短所がありました。 現場の細かいディテール(納まり)に詳しい人、工程管理に長けてる人、工事の粗利益を沢山出す人、職人さんを上手く使える人・・・・・ しかし私が一番印象に残っているのは、Mさんです。 工業高校卒で会社では決してエリートでは有りませんが、 やり手でした。 私は大阪のP教団の突貫工事の応援で、2週間下で働いただけですが 強烈に彼のやり手ぶりが脳裏に焼きついています。 何しろ三階建てのRC造の寮が二棟、S造の集会所が一棟杭打ちも有って 工期は90日常識的にはとても間に合いません。 大阪支店所属のSさんと東京から来た突貫工事専門のMさんで 最初は棟別に分けて現場監督10人くらいで見ていました。 両人が所長と言う肩書きで・・・・ しかし大阪支店所属の所長は私も下で働いたことが有りましたが 細かい納まりは詳しい人でしたが細かすぎる帰来がありました。 工事の進め方、考え方の違う両者がぶつかり現場が上手く回らなくなり 年下のMさんが、Sさんに言ったそうです。 「Sさん頭が二人ではこの突貫工事は絶対間に合わない。我々は工期遵守が 絶対条件だ。私が総指揮を取らないと間に合わない。悪いが私の指揮下で やってくれと言ったそうです。」 そうして不可能と思えた突貫工事を無事工期内に収めました。 Mさんには色んなエピソードと言うか武勇伝があるのですが それは次の機会に又書きます。 「広島で自然素材を使用した木の家なら佐々木順建設にお任せください。」
「次回の住まい塾は11月1日に開催致します。1