最近住宅の資産価値が日本でもやっと言われるようになりました。
重要文化財に指定される日本の武家屋敷や民家などの様に
日本の伝統の木造住宅は、長い年月の変遷に耐えてきた住宅です。
戦後高度成長期に大量生産されたプレハブ住宅や木骨住宅は
工業製品を大量に使って建築されました。
工場で大量生産されて部品化された組み立て住宅や
稚拙な間取りの住宅は高度成長期もあり
20年足らずで建て替えされる
短命住宅となりました。
悲しい恋の物語?
私は大学は千葉県に行きました 東京から来ている奴も多くて、他の学生は大半が東京弁 これが私には馴染めず4年間広島弁で通しました。 だからクラスで付いたあだ名は「広島」です 佐々木とは言われずに4年間「広島」と呼ばれました 悲しい思い出はその大学時代の話です たしか大学2年生の時でした 気の合う7人のグループが出来ました 東京の練馬に住んでる友人の中学生の時の女友達とその仲間二人 女の子と今で言う合コンをしました 男は4人位集まりました その中の一人の女の子に、私はなんと恋をしました 目鼻たちのはっきりしたモダンガールでした とても広島から出てきた田舎男にゲット出来るような 女性では有りませんでした 電話番号を初めての時、聞いていたのか? 後で友達に頼んで聞いたのか忘れましが ともかく女の子の家に電話しました 「もしもし佐々木ですが話があるので会ってもらえませんか?」 女の子はいとも簡単に?「ああ良いですよ」 待ち合わせ場所は田舎っぺでもわかる新宿御苑? 待てど暮らせど彼女は待ち合わせ場所に来ません 30分くらい待って不安な気持ちで彼女の家に電話しました お母さんが出られて「今日友達を見送りにに行ったのですが 飛行機の時間が遅れて、申し訳ないですが一時間ばかり遅れるようです」 う~んすっぽかされたのではなかった 彼女が遅れてやって来ました 新宿御苑を二人でそぞろ歩き 風邪気味の私、話しながら鼻がズルズルして来ました 鼻をかもうにもチリ紙はない 話しながら多分鼻ちょうちんになったのでしょう 彼女見かねて「佐々木君これ使って」 チッシュペーパ貰い、鼻かみました ズルズルと音をたてながら それから新宿の喫茶店に二人して行き、私は告白しました 「もし良ければ彼女になってください」 結果は勿論 「佐々木君は非常に素朴で良い人です。私初めて会った時から 好感もてた人なのです。でも私婚約者がいるんです」 フィアンセがいるのにデートに誘われてノコノコ出てくんなと 心の中では呟きながらも 顔を引きつらせ「友子さん幸せになって下さい」 と言って別れました これを書いてるうちに40年前の記憶が蘇り 彼女の名前まで思い出しましたよ なんてことだサンタマリアです これが私の悲しい恋の結末でした 何の事はない 一方的な片思いのお話でした
最近住宅の資産価値が日本でもやっと言われるようになりました。
重要文化財に指定される日本の武家屋敷や民家などの様に
日本の伝統の木造住宅は、長い年月の変遷に耐えてきた住宅です。
戦後高度成長期に大量生産されたプレハブ住宅や木骨住宅は
工業製品を大量に使って建築されました。
工場で大量生産されて部品化された組み立て住宅や
稚拙な間取りの住宅は高度成長期もあり
20年足らずで建て替えされる
短命住宅となりました。
最近になりやっと国も長期優良住宅を言い始めました。
欧米に較べて中古住宅の流通が極端に少ないには、住宅を消費材と考えてた政策を取ってきた国にも大部分の責任があるのでしょう。
戦前の住宅の様に本物の材料を使った長寿命の住宅こそが資産価値のある住宅と言えます。
間仕切りは可変的な襖や障子で仕切り、大きくも小さくも使える
自然素材を使う事により経年によりより味わいがます昔の家造りこそが
「資産価値のある住宅」の原点です。
ガーコとの思い出
昨日は注文用地を確かめに百田団地に行きました。
帰り道に東浄団地の大きな池に寄って見ました。
10数年前に次男がマンションで飼っていた
合鴨のガーコが大きくなり過ぎて
飼えなくなったので家で飼って貰えないかと
持ってきました。
しかし家で飼うと言っても困りました。
池で飼おうと池の中につけると嫌がります。
仕方ないので東雲本町にある倉庫に持って行きました。
しかし放し飼いではネコに襲われていけないので
現場用の大きなネットの丸いごみ箱を
かぶせました。
餌をやりに私と女房が1週間くらい通いました。
しかしいつまでも置いておけないので東浄団地に
大きな池があり合鴨やフランス鴨も
沢山いるのを聞きつけて
女房と一緒にガーコを放しに行きました。
人目を気にしながら高いフェンスからガーコを放しました。
池に恐る恐る入ったガーコを先住民のかもが襲って来ました。
そうするとガーコの口ばしがみるみる青い色になりました。
恐怖におののくと人間と一緒だなあとびっくりしました。
2日経ってガーコの事が気になり女房と一緒に見に行きました。
放したフェンス越しに泳いでるガーコに向かって
「ガーコガーコ」呼ぶと驚いた事に
ガーコが「があ~があ~」と言いながら池から出て
私たちの方に近づいて来ました。
私たちを覚えてくれていたのです。
それからまた1か月くらいして女房と見に行きました。
そうするとなんという事でしょう!
最初いじめられていたガーコがリーダーとなり
先頭をスイスイ泳いでいました。
いつの間にやらガーコがリーダーになっているではありませんか!
今度も「ガーコガーコ」と呼んでみましたが
もう私らの方には近づいてきてはくれませんでした。
今日10数年ぶりに行ってみると鴨の姿はありませんでした。
近所の奥さんに聞いて見ると「春先には鴨はやって来ますよ」
と教えてくれました。
合鴨の寿命は分かりませんが思い出のガーコは
まだ生きているのでしょうか?