佐々木順建設 フリーダイヤル 0120-740-201
イベント情報はこちら
住まい塾はこちら
資料請求・お問い合わせ
土地情報
佐々木順建設は広島の工務店、
自然素材の木の家でつくる注文住宅
二世帯住宅もおまかせ下さい
佐々木順建設

広島市、東広島市、廿日市市、安芸郡、佐伯郡、呉市の工務店
佐々木順建設は耐震等級3で自然素材の木の家でつくる注文住宅
 平屋・二世帯住宅もおまかせ!

フリーダイヤル 0120-740-201
ホーム > 社長ブログ

社長ブログ

社長ブログ

「私の生い立ち」広島 注文住宅
投稿日:2019年07月21日
私の生い立ち

私は、瀬戸内海に浮かぶ能美島の沖美町是長で生まれ、温
暖な自然環境と、人柄のやさしい土地柄に育まれながら、4
才まで過ごしました。私の父親は、大工職人から、工務店を
創業しました。大正元年生まれの気骨のある職人気質のある
男です。私は、長男ということもあったのでしょう、小学校
の四年生の頃から、夏休みなどにはよく、現場の清掃、片付
けを、手伝わされていました。

 

 

 

 中学生にもなると、住宅の基礎のコンクリート打ちを手
伝っていました。当時は、今ほど専門業化されておらず、私
どもの会社では住宅の基礎も、自分の所で施工してました。
 又、今と違い、生コンクリートをミキサー車が持って来る
のではなくて、現場でミキサー( コンクリートを練る機械)
に、砂・砂利・セメント・水を入れて練っていました。
 リヤカーに、ミキサーやフネ( 現場でセメント袋からセメ
ントを取り出して入れるもの) を運んでいて、同級生の女
の子にバッタリ会って、少し恥ずかしくて、顔を赤く
した思い出もあります。




 父親は、私の生来の手先の不器用さを見抜いていたせいか、
大学に行かせて、建築士の資格を取らそうと思ったのか、私
に大工の修業をしろとは言わず、日本大学の建築科へ行かせて
くれました。



ページ先頭へ
「ラベルが剥がされたペットボトル」広島 注文住宅
投稿日:2019年07月20日
ラベル剥がされました。
お早うございます。
早く目覚めました。


写真はミネラルウォーターを冷やしてるペットボトルです。
冷蔵庫に冷やしています。
最初は冷蔵庫の前列が私で後列が
女房だったんですが
間違えて私が飲むからと私のペットボトルの
ラベルを剥がされました。


あと1本ずつあります。
かなり嫌われているようです…笑い…


結婚して今年で45周年です。

新婚時代は遥か彼方に飛んでしまいました。




ページ先頭へ
「家内は中学の同級生」広島 注文住宅
投稿日:2019年07月19日
今の女房とは、中学時代の同級生で、大学の三年生の時か
ら付き合っていたので、広島に就職するつもりで、地元のゼ
ネコンの入社試験を受け内定していたのですが、親父に勝手に
断りに行かれて、東京の中堅ゼネコンに行く羽目になりま
した。



学生の分際で女( 今の女房です) とチャラチャラして
いたので、広島に勤めさせたのでは修業にならないと思った
のでしょう。
その時は腹が立ちましたが、今となっては、その時の経験
が非常に役に立ち、親父に感謝しています。



その会社では、
希望して大阪支店に配属してもらい、住宅公団、大阪府、民
間などで、鉄筋コンクリート、鉄骨造等の多種多様な建物の
現場監督として、六年余り勤めました。親父も年もとって来
たし、私が、一級建築士、宅地建物取引主任者の資格も取得
した事もあり、昭和五十三年に、親父の会社に入りました。
組織の大きい所から、小さな工務店に帰り、何から何まで親
父のやり方が古く思えて、帰った当初、二年ぐらいは親父と
いろいろなことでよく衝突しました。



 今考えると商売のイロハもわからないのに、生意気
なことを親父に言ったものだと、深く反省しています。
長男が4 才、次男はまだ4 ケ月、女房にもすぐ事務所を手
伝ってもらったので、乳飲み子をかかえながらで、女房には
苦労をさせました。ちょうど第二次石油ショックの後で、仕
事量もあまり無く、女房と二人で、手作りのチラシを作り、
会社の近隣地域を一軒一軒ポスティングしたりもしました。
 今ではそれも良い思い出ですが、現場監督しか経験のな
い私にとって、当時は、ドアホンを押すのが嫌で嫌で
たまらなかった記憶があります。




ページ先頭へ
イベント予約はこちら
資料請求はこちら
土地情報はこちら
お問合せ・資料請求
ページトップへ