スペインの世界的な建築家のこの名前を知っている人も多いでしょう。 私がこの名前を初めて知ったのは私が大学2年生の時です。 私の姉は東京の国立音楽大学に通っていて、国立に下宿していました。 私ははるばる千葉の片田舎から、食事を目当てに時々泊まりに 行ってました。 その時付き合っていた姉の彼氏が武蔵野美大の建築デザイン科の学生でした。 かなり気障な男で「君は建築家ではだれが好きなの?」と聞くのです。 私は別に建築家に成ろうなんて思い建築の大学に行ってるわけではないので 言葉に詰まりました。 すると彼曰く「目標にする建築家は決めておいた方が良いよ」と言いました。 「僕はガウディーの様な世界的な建築家になるんだ。将来の僕を見ていてくれ」と 言ってました。 私もその言葉を覚えているから、建築雑誌で彼の名前を時々捜すのですが 見当たりません。 二十年位前に「アントニ-.ガウディー」と言う ドキュメントタッチの映画が広島で上映されました。 ガウディーか私は彼の事も思い出して早速見に行きました。 ガウディーの学生の時の卒業設計の図面がスクリーン一杯に 映し出されましたが、ぶったまげました。 確か19歳位の時書いたという図面でしたが、天才は居るんもんだ と実感しました。 有名なサグラダファミリアと言う教会はまだ建築中でまだ数百年も掛かると 言われてるようです。 教会の内部に飾るレリーフやら彫刻物もガウディーがデッサンしたものが 映画で紹介されましたが、まさに画家です。 一度スペインに行ってガウディーの建物を見たいと思ってます。
私は能美島で生まれ4歳まで能美島で過ごしました。 私の親父は能美島で生まれて能美島で大工の修行をして建築の請負業をしていました。 45歳の時に広島市に家屋敷を売り払って出てきました。 仕事が趣味で倹約家で面白い男でした。 晩年親父は80歳の時に生まれ故郷の能美島に終の住み家を建てました。 広島から能美島まで軽トラで朝早く出て行き仕事して夕方帰ってきました。 フェリーは使わずそれもクレアラインも使わず国道31号線を走り音戸大橋を渡り早瀬大橋を渡り 能美島に行ってました。 ある日私は親父に言いました。 「親父なんでフェリーで使わんのん?フェリーがらくじゃろう?」 親父答えて「徹年をとるとバックでフェリーに入れるのが難しいんよ。だから陸送で行くんよ」 私はその言葉を信じていました。 しかし私が陸送めんどいのでフェリー乗りました。 するとフェリーも新しい機種は前進で入れて前進で上陸できるようになってました。 私ははあはあ親父はフェリー代が惜しくて陸送で行ってるのだと気づきました。 高速代惜しくて下道を走る位だから・・・・・ 親父に言いました。 「親父あんたあ~フェリー最近は前進で入れて前進ででれるじやない。
あんたあフェリー代が惜しくてフェリーのらんの?」 親父答えて「いま気づいたか?」 私の顔見てへらへら笑いました。