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4月24日に引き渡しをさせていただいた北大河のK様が持たれていた弊社の地域新聞の夢職人新聞です。
2回目の打ち合わせの時も持ってこられました。
今回は引き渡しの前日お寄りした時に頂きました。
お持ちの新聞は2009年度版となんと2004年度版の2部でした。
2004年度版は赤と青の2色刷りです。
当時は輪転機で自社で刷っていました。
リフォームをすることになったらいちばんに声をかけようと思っていたなとご主人様に言われました。
「地道な活動は重要だと社員さんに伝えてください」
と最初の打ち合わせの時に言われました。
地域新聞をポスティングをする様になって20年近くなります。
ありがたい事です。
「広島で自然素材を使用した木の家を建てるなら佐々木順建設にお任せください」
「次回の住まい塾は5月10日開催予定です」
見せるための家
新築を考えられた方は皆さん一度は総合住宅展示場に足を運ばれます。
70坪くらいの何もかも大きいモデルハウスに足を運ばれてマイホームへの夢を膨らませます。
しかし現実的な間取りでは無いためご自分の住まい造りには殆ど役には立ちません。
参考になるのは住宅設備機器システムキッチン、システムバス、トイレの便器の類・・・・・しかしそれはメーカーのショウルームのほうが種類が多いのですが?参考になるのは自分が建てる住宅と同規模の住宅を見る事です。
それも子育て世代さん、2世帯住宅、終の住家という風に同じ用途の家を見られる事をお勧めします。
「広島で自然素材を使用した木の家なら佐々木順建設にお任せください。」
「次回の住まい塾は5月10日開催予定です」
「金剛荘 当時住んでました。高級文化住宅という触れ込みでした。」
ポールの京セラドームでの公演を見た翌日の4月22日に、
昔、新婚時代に住んでいた喜志に行ってみました。
何せ今から40年前の事です。
急に思い立ったので住所も分かりません。
メールで女房に調べて貰う様にしました。
道行く人に尋ねて歩くうちに交番を見つけて入りました。
おられたのはお巡りさんではなく交通巡視員の名札をつけていた
おじさんでした。
「40年前に住んでいたアパートを探しています。
住所は喜志町2丁目3の1です。」
地図を出してめくりながら探してくれました。
「金剛荘ですか?」
「ハイ!そうです」
名前は忘れていたのですが「金剛荘」名前を聞いたとたんに思い出しました。
偶然にも交番の裏にありました。
懐かしい昔の面影そのままでした。
「40数年経っています。
メンテナンスをちゃんとしているのしょう!
40数年も経っている建物には見えません。」
私らの住んでいたのは1階のいちばん奥でした。
2階の住民のおばさんが洗濯物を干していました。
写真を撮っていると怪しまれる?ので声をかけました。
「このアパートに40年前に住んでいたことがあるんです。
懐かしいので訪ねて来ました。当時と周りが随分と様子が違います。」
「そうですか~それは懐かしいでしょうね~」
と言われました。
「私らが新婚時代に住んでいた部屋です。
107号室とありました。」
昔の事が走馬灯の様に思いだされました。
K建設の大阪支店に現場監督として勤務して3年目に結婚しました。
当時の勤務が富田林に本部のある、PL教団の仕事に従事してました。
富田林に近い貴志で、まだ新しいアパートを探して住みました。
当時は高級文化住宅と言ってました。
まだ鉄筋のマンションなどは余り無い時代です。
ここで長男の順一郎は生まれました。
今やその長男も40歳になりました。
新婚生活2年目に出来た子です。
当時の鉄筋会社の親父が私に真顔で
「わしは骨相学をまなんでいるのだが、あんたは種が少ない相をしている。
避妊しているのならすぐに子作りに励んだほうがええよお~」と言われました。
私は家に帰り女房にそのことを話しました。
生真面目な女房もそれを真に受けてその日の晩から
サック外してしたら、それからすぐに妊娠しました。
そのことを鉄筋会社の親父に話したら、
「あんたわしの言う事、真に受けたんかあ~」
それは無いぜベイビー~
長文のブログを最後まで読んで頂きありがとうございました
「広島で自然素材を使用した木の家なら佐々木順建設にお任せください。」
「次回の住まい塾は5月10日開催予定です」