写真は母の部屋においてあったレコード盤でも
聞けるコンパクトデスクです。
今は私が寝ています。
3年半柴犬りき君が足が弱ってからは一緒にりき君と寝てました。
テープとレコードに対応してます。
母は平成17年に亡くなりました。
81歳でした。
親父の亡くなった10か月後の事でした。
お茶や華道を長年していました。
それに詩吟もやってました。
晩年になってはカラオケ教室にも行ってました。
練習用にこのコンパクトデスク買いました。
通信販売で私が買ってあげた様な記憶があります。
何事にもせよ一生懸命やるおふくろでした。
カラオケの練習の歌声が母の部屋から時々聞こえてきました。
このコンパクトデイスクを見るとそんなことを思い出します。
競馬の話その2
大学を卒業した私はK建設の大阪支店に配属されました。
最初は中津にある支店に一週間ほど通いました。
それからP教団の聖地のT市に着任?
現場事務所で寝泊りするようになりました。
そこは賄いつきで食事洗濯掃除も会社が地元のおばさんを雇って
やってくれました。
おばさんの息子さんが焼肉屋をされていたのですが、
副業で競馬のノミ屋をしてました。
私は今の女房と結婚の約束をしていて毎月天引きで
3万円ほど貯金をしていました。
何しろ賄いつきですから後は小遣い。
土日にかけて競馬をノミ屋でやりました。
その事務所は土木建築の合同事務所で現場監督が合計しますと
10人以上いました。
ある日土木の監督で私と同期入社のTが「佐々木、これ焼肉屋の奥さんに佐々木さんに
渡して下さい」と預かったと薄いピンクのカーデガンを貰いました。
私もその焼肉屋何度か行ったことあるのですが、
奥さん私に気でもあるのか?と一瞬思いました
その後の彼の言葉にど頭をガ~ンとハンマーで殴られましたよ
「佐々木さんが事務所の中では一番のお得意さん?
競馬いつも外れて気の毒だからこれあげてください」
「佐々木お前が一番のお得意さんだとよ」嘲るような奴の言葉に(この男結構中穴当ててました。)
私は情け無いのと自分の不甲斐なさに一晩枕を涙で濡らしましたよ。
T市も田舎町競馬をチマチマ、ノミ屋でやるくらいが唯一の娯楽?
日曜祭日も休みじゃないことも多く昼休みに電話でノミ屋に
電話して楽しんでました。
私は唯一の楽しみだった競馬をそれ以来プッツリとやめました。
競輪競艇競馬にはまっている皆さん賭け事はホドホドに
賭け事で身上潰した人はごまんといますが蔵を建てた人は
皆無ですよ
6月29日は呉の三和町の家のリノベーションの引き渡し式&住宅設備の取り扱い説明がありました
去年の4月に会社に1本の電話がかかってきました。
ご主人さんが海外で仕事をされている方で奥様が一時帰国されていて至急打ち合わせがしたいと言う事でした。
会社に来て頂きアウトラインをお聴きしてメールでGuatemalaとやりとりしました。
本当は去年着工する予定でしたが、西日本豪雨の影響で着工が今年にずれ込みました。
私は自身の病気なども重なり途中から全て実弟の専務が担当して呉まで毎日通いおさめてくれました。
引き渡しの時、奥様が感激で涙を浮かべながら
自分の想像以上のリフォームに仕上がりだとお褒めの言葉を頂戴しました。