2007年08月16 ライブドアー佐々木徹ブログより 法律が改正になった
盆には先祖の魂が帰って来ると言います。
昨日テレビで若いタレントが、霊を感じる能力が強くて
死んだおじいさんの姿が見れると言ってました。
私の父は平成16年10月9日に91歳で、永眠しました。
現役バリバリの頃は、結構アクが強かったように、
思いましたが、引退してからは好好爺となり
何をしてあげても「ありがとう、ありがとう」と
感謝の言葉を言ってました。
晩年能美島に、終の棲家を建て、広島と能美を気ままに
行ったり来たりしていましたが、いつもフェリー代が勿体無くて
音戸大橋を渡り、それも呉の有料道も使わず、一般道を通っていました。
能美島からの帰り居眠り運転をしていて、反対車線にはみ出て
交通事故を起こしました。
前々からもう高齢だから、親戚からも危ないから運転させないほうが
良いといわれていたのですが・・・
非常に元気で行動的な、親父から車を取り上げるのは
不憫でそのままにしていたのですが・・・・・
これはもう限界だ思い鍵を隠しました。
免許書の書き換えが来たのですが、それも本人には伝えませんでした。
ある日父が「徹やっぱり車がないと不便だから、軽でも買おうと思うんじゃが・・」と切り出しました。
私は「もう車には乗れんよもう免許書期限切れで無いよ」
と言いますと「ほうか~」とさえなさそうに答えました。
それからしばらくして親父が「徹何でも最近法律が改正に
なって年寄りは免許が無くても車に乗れるようになったらしいで~」
と言います。
私が「そんな馬鹿な事あるわけ無いじゃないどこでそんな話し
聞いたん」と言いますと
「テレビでも言ってたし、新聞にも載っていた。お前知らんのんか」
と譲りません。
行動派の親父は、車に乗りたくて乗りたくてたまらなかったんでしょう。
晩年よく親父を能美島から広島に車で、連れて帰ったりしていたから
このたび能美の行き帰りに、そんなことも思い出しました。
2008年08月09日 ライブドアー佐々木徹ブログより
祭りの食べ物
子供の頃縁日の祭りの時、私が一番愉しみだったのが
ほかほかに蒸しあがった「いがもち」をほお張りながら
屋台を歩き回る事でした。
あんころ大好き人間の私にとって初めて「いがもち」を口にした時
「こんなに美味しい食べ物がこの世に有ったのか?」と
感涙に打ち震えました。
いがもちは呉の祭りには欠かせないもので、
米の粉ともち米の粉を混ぜて作った生地であんを包み
鮮やかに色染めした米粒をつけて蒸した、蒸し菓子のようです。
そうか小学校の頃、比治山の祭りで夢中になって食べた
「いがもち」表面についていたピンクや黄緑の飾りは
米だったんだ~
子供の頃のだんだん薄れ行く思い出の中で、甘いもの大好き人間で
特にあんころ系に目の無い私にとって「いがもち」は忘れられない
懐かしの味覚です。
呉の苗代町にある大原製菓店さんでは、今でもいがもちを生産されているようです。
広島市内のスーパーでも、月に1~2度は対面販売されているようです。
盆前から呉の広でM様邸の工事が始まります。
大原製菓さんを捜して昔懐かしい「いがもち」を食べてみようか と今からよだれをたらしている甘党の「トオルちゃん」 でした。