家づくりは何千万円の買い物です。
いつもに較べてお金の単位が大きいので、お金の感覚がマヒしがちなります。
お金の感覚が麻痺してしまう人は、パーツ単位で仕様を上げて
行きがちになります。
家づくりは何千万円の買い物です。
いつもに較べてお金の単位が大きいので、お金の感覚がマヒしがちなります。
お金の感覚が麻痺してしまう人は、パーツ単位で仕様を上げて
行きがちになります。
システムキッチンは扉のグレードを上げよう、システムバスももうワンランク上げよう、外壁も吹きつけはやめて塗り壁にしようとかet cetera・・・・
そうして予算が上がって行ってしまします。
大部分の人は予算は限られています。
限られた予算の中で良い家を作るには予算の配分が一番大事です。
つまり最初に優先順位をしっかりとご家族で話しあってから
家づくりにあたる事です。
1950年生まれの私は今年で還暦60歳です。
大学に入学したのは1968年昭和43年でした。
マンモス校だった日本大学は当時全校生徒が10万人と言われてました。
私は日本大学の生産工学部の建築工学科に入学しました。
日大闘争の真っ只中でした。
教養課程の1年は授業を受けられたのは前期は3ヶ月余り・・・・
授業は余りないのに前期試験がありました。
出なければ当然単位が取れません。
文系みたいに代返では事足りません?
真面目にせっせっと授業を受けました。
大学の3年生だと記憶しますが今日のブログのタイトル環境工学と
言う授業がありました。
担当の板村先生は東京大学出身と言う事でした。
熱エネルギーや換気計算、断熱計算、結露の原理・・・・
なんとも難しくて面白くない授業でした。
先生はこの環境工学は将来建築に携わるものには
欠くことのできない知識だからしっかり勉強しなさいと言われました。
今思えば板村先生は先見の明がありました。
何年か前に広島の校友会で久しぶりに板村先生とお会いしました。
先生は生産工学部の学部長になられていました。
めがねを掛けギョロメの風情はひとつも変わって
おられませんでした。
髪だけは薄くなり白髪にはなられていましたが・・・・
光陰矢のごとしですね・・・
大学を卒業してはや38年も経ちました。
これは9年前のプログです。
異業種交流会でご一緒させて頂いていた、親和商会の渡邊社長が急逝されました。
通夜と葬儀にも家内と参列しました。
まだ72歳でした。
付き合いの広い方でした。
沢山の人と生花にびっくりしました。
葬儀で霊柩車に向かわれた時に奥様が涙を浮かべながら、旦那さんの遺影の頭を愛しそうに撫でておられたのが涙を誘いました。
高校の時からの交際で結婚されたお二人。
来年の10月10日で金婚式だったそうです。
心よりご冥福をお祈りいたします。