
この小冊子を、書き始めようと思い立ち、いろいろな消費者向け雑誌や住宅関連の本を読み返しました。 これは重要ですから、二回言います。 消費者向けの大手雑誌に書いてあるとおりに家を建てるとほとんど失敗します。 大手出版会社の住宅関連の本に書いてあるとおりに家を建てるとほとんど失敗します。 これはもう、しょうがない話です。 そもそも出版会社自身が、住宅屋さんじゃないわけです。 ましてや、こういった雑誌には、大手住宅メーカーや、建築材料メーカーなどが、広告を出しています。 住宅関連の雑誌には、素晴らしい写真が載せてあります。 明るくて広々としたリビングのソファーに家族が幸福そうに微笑んでいる。 どの紹介例をとっても、もっともらしいことが書いてあるし、 夢のような素晴らしい出来栄えの写真が、あなたの購入意欲をかきたてます。 でも、こうした住宅関連の雑誌や書籍を読めば読むほど、歯切れの悪さを感じます。 なぜでしょうか? それは、都合の悪いことが一つも書いてないからです。 世の中すべて、長所も短所も必ずあるものです。どこが良くてどこが悪いのかということはどこを見てもなかなか書いていない。 結局お茶を濁したようなことしか書いていないのです。 家づくり7つの鉄則をまとめて読みたい方は、下記からお申し込み下さい。 小冊子 家づくり7つの鉄則の申し込みはこちら
父親は、私の生来の手先の不器用さを見抜いていたせいか、 大学に行かせて、建築士の資格を取らそうと思ったのか、 私に大工の修行をしろとは言わず、日本大学の建築科へ行かせてくれました。 今の女房とは、中学時代の同級生で、大学の3年生の時から付き合っていたので、 広島に就職するつもりで、地元のゼネコンの入社試験を受け内定していたのですが、 親父に勝手に断りに行かれて、東京の中堅ゼネコンに行く羽目になりました。 学生の分際で女(今の女房です)とチャラチャラしていたので、 広島に勤めさせたのでは修業にならないと思ったのでしょう。 その時は腹が立ちましたが、今となっては、その時の経験が非常に役に立ち、親父に感謝しています。 その会社では、希望して大阪支店に配属してもらい、 住宅公団、大阪府、民間などで、鉄筋コンクリート、鉄骨造等の多種多様な建物の現場監督として、6年余り勤めました。 親父も年もとって来たし、私が、一級建築士、宅地建物取引主任者の資格も取得した事もあり、 昭和53年に、親父の会社に入りました。 組織の大きい所から、小さな工務店に帰り、何から何まで親父のやり方が古く思えて、 帰った当初、2年ぐらいは親父といろいろなことでよく衝突しました。 今考えると商売のイロハもわからないのに、生意気なことを親父に言ったものだと、深く反省しています。 長男が4才、次男はまだ4ヶ月、女房にもすぐ事務所を手伝ってもらったので、 乳飲み子をかかえながらで、女房には苦労をさせました。 ちょうど第二次石油ショックの後で、仕事量もあまり無く、 女房と二人で、手作りのチラシを作り、会社の近隣地域を一軒一軒ポスティングしたりもしました。 今ではそれも良い思い出ですが、 現場監督しか経験のない私にとって、当時は、ドアホンを押すのが嫌で嫌でたまらなかった記憶があります。家づくり7つの鉄則をまとめて読みたい方は、下記からお申し込み下さい。 小冊子 家づくり7つの鉄則の申し込みはこちら
私は、瀬戸内海に浮かぶ能美島の沖美町是長で生まれ、 温暖な自然環境と、人柄のやさしい土地柄に育まれながら、4歳まで過ごしました。 私の父親は、大工職人から、工務店を創業しました。 大正元年生まれの気骨のある職人気質のある男です。 私は、長男ということもあったのでしょう、 小学校の4年生の頃から、夏休みなどにはよく、現場の清掃、片付けを、手伝わされていました。 中学生にもなると、住宅の基礎のコンクリートの打設を手伝っていました。 当時は、今ほど専門業化されておらず、私どもの会社では住宅の基礎も、自分の所で施工してました。 又、今と違い、生コンクリートをミキサー車が持って来るのではなくて、 現場でミキサー(コンクリートを練る機械)に、砂・砂利・セメント・水を入れて練っていました。 リヤカーに、ミキサーやフネ(現場でセメント袋からセメントを取り出して入れるもの)を運んでいて、 同級生の女の子にバッタリ会って、少し恥ずかしくて、顔を赤くした思い出もあります。 家づくり7つの鉄則をまとめて読みたい方は、下記からお申し込み下さい。 小冊子 家づくり7つの鉄則の申し込みはこちら