私がリキ君と寝ている部屋は母親の寝室でした。
銀色の塗り壁に押しピンで2005年の5月のカレンダーが
今でも、とめたままになっています。
母親が亡くなったのが6月3日です。
5月中旬に私はメーカーの招待でシアトルにヤンキースと
マリナーズの野球観戦ツアーに行きました。
当時ヤンキースには松井選手、マリナーズにはイチロー選手がいました。
招待といっても行く予定の人が急に行けなくなり私はピンチヒッターでした。
母親はもう病状が悪くて、緩和ケアー病院に入院する予定になっていました。
それもありアメリカに行くかどうか迷いました。
母親にアメリカに行くことを言いそびれてしまいました。
アメリカに旅立つ早朝に、母親の部屋に行き、アメリカに行く事を話しました。
驚いた様子の母親は「ちょっと徹、話があるんじゃがあ~」と引き止められました。
時間もなかったので「もう時間もないから、アメリカから帰ったらゆっくり聞くから」と
言って旅立ちました。
4泊5日の旅から帰るなり、家内に母親はもう意識がないと聞かされました。
すぐに病院に駆けつけました。
姉が「お母さん徹が帰って来たよ」と言いました。
うなづいてくれたような気がしましたが、目を開くことはありませんでした。
それからわずか1週間くらいして母親は亡くなりました。
あのとき母親は私に何の話があったのか・・・・
何故聞いてやれなかったのか今でも悔いが残っています。
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