「金剛荘 当時住んでました。高級文化住宅という触れ込みでした。」
ポールの京セラドームでの公演を見た翌日の4月22日に、
昔、新婚時代に住んでいた喜志に行ってみました。
何せ今から40年前の事です。
急に思い立ったので住所も分かりません。
メールで女房に調べて貰う様にしました。
道行く人に尋ねて歩くうちに交番を見つけて入りました。
おられたのはお巡りさんではなく交通巡視員の名札をつけていた
おじさんでした。
「40年前に住んでいたアパートを探しています。
住所は喜志町2丁目3の1です。」
地図を出してめくりながら探してくれました。
「金剛荘ですか?」
「ハイ!そうです」
名前は忘れていたのですが「金剛荘」名前を聞いたとたんに思い出しました。
偶然にも交番の裏にありました。
懐かしい昔の面影そのままでした。
「40数年経っています。
メンテナンスをちゃんとしているのしょう!
40数年も経っている建物には見えません。」
私らの住んでいたのは1階のいちばん奥でした。
2階の住民のおばさんが洗濯物を干していました。
写真を撮っていると怪しまれる?ので声をかけました。
「このアパートに40年前に住んでいたことがあるんです。
懐かしいので訪ねて来ました。当時と周りが随分と様子が違います。」
「そうですか~それは懐かしいでしょうね~」
と言われました。
「私らが新婚時代に住んでいた部屋です。
107号室とありました。」
昔の事が走馬灯の様に思いだされました。
K建設の大阪支店に現場監督として勤務して3年目に結婚しました。
当時の勤務が富田林に本部のある、PL教団の仕事に従事してました。
富田林に近い貴志で、まだ新しいアパートを探して住みました。
当時は高級文化住宅と言ってました。
まだ鉄筋のマンションなどは余り無い時代です。
ここで長男の順一郎は生まれました。
今やその長男も40歳になりました。
新婚生活2年目に出来た子です。
当時の鉄筋会社の親父が私に真顔で
「わしは骨相学をまなんでいるのだが、あんたは種が少ない相をしている。
避妊しているのならすぐに子作りに励んだほうがええよお~」と言われました。
私は家に帰り女房にそのことを話しました。
生真面目な女房もそれを真に受けてその日の晩から
サック外してしたら、それからすぐに妊娠しました。
そのことを鉄筋会社の親父に話したら、
「あんたわしの言う事、真に受けたんかあ~」
それは無いぜベイビー~
長文のブログを最後まで読んで頂きありがとうございました
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「次回の住まい塾は5月10日開催予定です」
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