勉ちゃん
勉ちゃんとは私の母親の兄さんの事です。
正式には勉一、傷痍軍人で戦争で右腕が肘から下を
敵の砲弾を浴びてもぎ取られて、
戦地から帰って来ました。
私の異母兄妹が呉の大空襲の時に、
防空壕で死んだと前回書きましたが
その時片腕の勉叔父さんも防空壕にいました。
煙が防空壕に充満してきたので、
みんな争って外に出ようとした時
八重子叔母さんは5歳になる泰子と
最初はしっかり手を握り外へと急いだ様ですが・・・・
暗闇の中勉ちゃんは「八重子絶対泰子の手を離すなよ」
と声を掛けながら外へと
急ぎましたが途中で「お兄さんもう私は駄目だ」
と言う声を最後に「八重子八重子」と声を掛けても
返事が無かったそうです。
三人で防空壕に避難していて助かったのは
片腕の勉叔父さんだけ・・・
叔父さんは
「わしに両腕があれば泰子を抱きかかえて外へ逃げられたのに」と
失った右腕を摩りながら悔しそうに言ってました。
昔結核もわずらっていた叔父さんは
60歳で病気で亡くなりました。
町役場に勤めていて役場をやめ町会議員を長くやっていました。
新聞は朝日新聞、革新的な考えの結構インテリな叔父さんでした。
戦争は悲惨ですね・・・
罪も無い一般の女や子供も必ずや犠牲になります。