私の親父の親父、つまり私のお爺さんは佐々木多十と言う名前でした 私が生まれた時はもう死んでました だから私はお爺さんは知りません この前従兄弟の飲み会で、この多十爺の話で盛り上がりました 能美島の庄屋の番頭さんをしていたようです 何処で習ったのか読み書き算盤が達者で、 寺子屋の先生もしていたとか? 明治生まれは文盲の人も多かったようです 村の人にたのまれて巻き紙に達筆な筆文の手紙を サラサラと書いて上げてたそうです 頭も聡明で田舎では大きい?庄屋の大番頭として陣頭指揮で 采配を奮っていたそうです その多十爺は長男の武一郎(私の親父のお兄さん)が大のお気に入り だったそうです 素直に親の言う事を聞き模範の息子 その点うちの親父は父親の言う事を聞かなかった様です 「武一郎はほんに親孝行息子じゃあそれに引き換え 順の野郎は不孝行者だ」といつもこぼしていたそうです 親父がいつも「兄貴は要領が良いから親父の気に入るようにしてた」 と私ら子供に言ってました 武一郎伯父さんは長い事、町会議員を勤めあげ、議長にもなった人物家 でした。 本家の従兄から聞いた話では、子供の頃から親父に怒られた事や 大きい声を出された事は只の一度も無かったそうです 同じ兄弟でもうちの親父と正反対で物静かなおじさんでした
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