
今は亡きオデブリンヤマト君を偲んで・・・ 2008年に書いたブログです。
僕は今年で5歳体重は7.5キロの茶トラ猫です。(う~んダイエットしなくちゃ) 夢職人新聞にお兄ちゃんの柴犬リキ、 お姉ちゃんの藤猫スミレと登場しています。 僕の出生の秘密をそっと教えます。 僕は温品の旧家の納屋で生まれました。 そうです僕の母親は野良ちゃんでした。 家の人に内緒で納屋で生み育てられてるのが家の主人に 見つかり大変な事になりました。 僕の弟や妹は家のそばに流れている小川に投げ捨てられました。 僕はと言えば首根っこをつかまれ小川に浸けられ もう少しで溺死するとこでした。 そこへ仕事で来ていた寛明さん(今佐々木順建設で大工さんしています) が「旦那さん子猫を助けて上げて下さい僕が家で飼いますから」 と言って助けてくれたのです。 その時寛明さんはまだ他の工務店で大工さんの見習い中 五日市の借家に住んでいたので自分のところで飼うわけに行かず 僕は寛明さんのお父さんの家で飼われるようになりました。 優しいお父さんとお母さんは翌日水に浸けられて風邪を引き 肺炎になりかけていた僕をお医者さんの所に 連れて行ってくれました。 それからはや5年の月日が経ちました。 う~ん「光陰矢の如しか」 野良ちゃん出身?の割りに僕教養あるでしょう お父さんが本を読んでる時そばで甘えて 体摺り寄せながら覗き見して勉強しているんです(偉いでしょう) 続きは又後日書きます。 又読んでね![]()
2008年02月09日
奇跡の合鴨ガーコ 新潟の旅行の二日目に白鳥の飛来する瓢湖に行きました。 足かせに挟まれたまま飛び立ったり舞い戻ったりで テレビで話題になった白鳥のいる湖です。 白鳥よりも合鴨の数の多さにビックリ 白鳥に餌をやっても殆ど合鴨が食べます。 合鴨を久しぶりに見て「ガーコ」の思い出が走馬灯のように よみがえりました。 次男が独身時代に1DKのマンションの風呂で合鴨の「ガーコ」を 飼っていました。 さすがに大きくなり「お父さん家で飼ってくれないか」とSOS 家の池に放したりしても泳ぐ事も出来ない? 仕方がないから東雲の倉庫に籠で覆って置き餌をやりに 行ったりしましたがいつまでも出来るはずもなく 結局中山の団地の池に放すことにして女房と一緒に行きました。 人目を気にしながらもフェンスからガーコを池に放しました。 そうすると先住者の合鴨がガーコに襲い掛かりました。 するとガーコのくちばしが真っ青に色が変わりました。 「う~ん苛められてこの先大丈夫かなあ~と心配になりました」 気になり3日くらいして餌を持って女房と池に行きました。 フェンス越しに「ガーコ」と呼ぶとなんと「ガーコ」が、 ガアガア鳴きながら私らの方に来るではありませんか 「ガーコ私らの事覚えている」女房と顔を見合せました。 それから3週間くらいして「ガーコわしらの事まだおぼえとるかのお~」 と期待しながら行きました。 またフェンス越しに「ガーコ、ガーコ」と呼んでも来ません。 しかし何と私の家の池に離した時はろくに泳げなかったガーコ 先頭をきり合鴨を三羽くらい引きつれ池を悠然と泳いでます。 「おい早苗(女房の名前です)ガーコいつの間にかリーダーになっとるぞ これで安心じゃのう」と言いながら帰りました。 あれから行ってませんがもう5年くらい前の話 瓢湖で合鴨を見て思い出しました。ガーコの事
リキとヤマトと私と妻 お早うございます。 まだヤマト君が1~2歳頃の写真だと思います。 旧事務所の前に繋いでいたのですがいなくなりました。 女房と夜な夜なあちらこちらを探しまわりました。 ポスターも作り電信柱にも貼りまわりました。 2週間後に近所の奥さんの連絡で近所の駐車場の車の下に うずくまっていたのを発見しました。 1キロも痩せていて背中には野良猫に追い回されて つけらた傷が沢山ありました。 多分その直後くらいに撮った写真です。
02/9 「第1回打ち合わせ」広島市安佐南区T様建て替え工事
10/24 「リフォームとリノベーションの違いは」
10/22 「テレビCMの出会い」
10/12 「造園屋さん」えらい違い?
09/22 「終の棲家」












