佐々木順建設は広島の工務店、
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社長ブログ

広島注文住宅2代目社長工務店ブログ  「お母ちゃん納豆こうてえ?」 
投稿日:2017年03月25日

















お母ちゃん納豆こうてえ

私は超がつくくらいの甘党です。
洋菓子も和菓子も甘いものなら何でも来いです。
甘いものには本当に目が無く、子供が小さい頃なんかも
子供の食べてるものを少し横取りすることもありました。
関西方面に旅行した時には必ず伊勢の赤福を土産に買ってきました。
土産とは口実で食べるのは殆ど私です。
一度に半分以上平らげます。
さて本日のタイトルですが、私が小学生の低学年の頃の話です。
その頃は行商で豆腐とか魚とかいろんなものを売りに来てました。
ある日のこと「ナット~ナット~美味しい美味しい納豆はいらんかね」と言う行商のおじさんの
さわやかな声を聞きつけた甘いもの大好きなご幼少の佐々木徹君何を血迷ったか、
「おかあちゃん納豆こうてえ?」母答え「徹君あれは納豆と言ってもあんたが思っている納豆じゃなく、甘くない納豆で、大人が食べるもので美味しくないんよ」
母の必死の説得?にもかかわらず分からず屋の僕ちゃんは「それでもいいから買って」親父が「ええけん、こうちゃれや~食べさせてやればわかるじゃろう~」
買ってもらい大満足の私、ところが母親から見せられたものは、
私が思っていた物とは似ても似つかぬ、ねばねばした変な物でした。
こわごわ口にしたらまずくて食べれません。
甘納豆だと勘違いした私の失敗談でした。
今でも納豆食べる時に、この昔の出来事を時々思い出します。

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広島注文住宅工務店2代目社長ブログ  弟からのバースデープレゼント
投稿日:2017年02月1日

私の誕生日にプレゼントを毎年弟から貰います。

今回はショルダーバックとマフラーでした。

マフラーは色がとても気にっています。

4つ違いの弟は遊びの時に、小さい頃は金魚のフンみたいに私のあとをついて来てました。

当時はまだ広島の川も綺麗で魚も結構釣れました。

チヌ、ハゼ、イダ、ボラ等

よく京橋川に小学校の親友M君と釣りに行きました。

弟もその時も金魚のフンみたいについて来ました。

M君と私はリールで遠くに投げて釣ります。

弟も釣りたがるので短い竿持たして近くに垂らさせて釣らせました。

すると弟が大きい声を出して「お兄ちゃんでかいのがかかったあ・・・・・」

興奮して大騒ぎです。

なんと体長40センチくらいのイダが釣れたのです。

大喜びの弟の当時の姿が昨日の事 のように思い出されます。

57余年前の昔です。

今まで時には喧嘩しながらもふたりで会社やって来ました。

兄弟で家業継がすのが親父の願いでした。

去年は親父とお袋の13回忌も済ませました。

今年は創業80周年です。

90周年は息子にバトンタッチです。DSC_7662

 

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広島注文住宅工務店2代目社長ブログ 交渉の達人 若き不動産王トランプ
投稿日:2017年01月26日

1988年に出版された交渉の達人若きアメリカの不動産王と言う本を持っています。

ニュヨークに最高級のトランプタワーを建設しアトランクシテイーには巨大なカジノ兼ホテルのトランプキャッスルを建てた絶頂期の頃 の作家が書いたトランプの自叙伝です。

この時に資産3800億円とあります。

天才的不動産王、新世代のネゴシエーターとも書いてありますが・・・・

巻末に果たしてドナルドのアメリカンドリームの終着駅が米国大統領になるのか、

この若き帝王の将来 に期待したいものだと結んであるのには驚きました。

 

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原爆の日
投稿日:2015年08月6日

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 今日は70年目にあたる原爆の日です。
私はこの戦争がなければこの世に生を受けておりません。

腹違いの姉は呉の大空襲でおばさんと共に死にました。
後添えがその妹になる私の母親です。

原爆の日、終戦記念日にはいつも複雑な思いです。

安保法案も色々言われていますが
現在の世界の情勢を考えると難しい問題ですね。
もろ刃の刃になりかねないとは思いますが・・・

いずれにしろこれからも戦争に巻き込まれない日本であって欲しいですね。

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若衆
投稿日:2015年07月9日

1436435973751今は亡きおふくろが暮らしていた部屋に
柴犬りき君と暮らし始めて1ヶ月が経ちます。

その部屋にあるお人形さんです。

テレビを見ている時に丁度目に入ります。

テレビに映っていると何度と錯覚しました。

博多人形だとおもいますが・・・

若衆とあり作者名が彫ってあります。

なかなかふくよかな顔で良いお人形さんです。

おふくろが昔に購入したものだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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田中角栄100 の言葉
投稿日:2015年07月6日

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 最近セブンイレブンで見つけて買いました。
1960年代から1970年代にかけて、
日本列島は学生運動の嵐が吹き荒れていました。

私は日大に1968年に入学しました。
日大闘争の真っ只中でした。
1年生の教養課程の時は学校がバリケードで封鎖されて
1年間で3~4か月しか授業がありませんでした。


反体制運動に明け暮れる若者に対して、自民党の要職に在りながら
角栄さんは一定の理解を示して居た様です。
「女の尻を追いかけまわす連中よりはよほど信頼できる。
社会に出て働き、結婚して所帯をもてば人生が一筋縄でいかに事を知り
物事を判断する重心も低くなる」

どちらかと言うとノンポリで女の子の尻を追っかけていた私には
耳の痛い言葉です。

ニコニコ~

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350円の誤入札?
投稿日:2015年06月22日

2008年06月22日佐々木徹ブログより

350円と350万円?

赤穂市の道路除草作業の入札で、市内の建設会社が
350万円とするところを何を血迷ったか誤って
350円と入札してしまい落札して真っ青になった。
何でも市内の道路脇2万1千㎡の除草作業で
期間は半年間
泣くに泣けない話、工事は大赤字だが社長の顔は真っ青 何でも入札の代理人(社員)に「350で入札して」と指示。
馬鹿社員は、1平方メートル当たりの単価と勘違いして、
そのまま350円と書いて入札したと言う?

9社による指名競争入札で、他社は300万円~365万円で
入札したらしい。

落札後に契約しなければ、市の規定で6ヶ月から1年半の指名停止
処分となる為建設会社は「自分たちのミスだから」
と泣く泣く請合う事にしたらしい。

赤穂市の契約検査係りは「どのような落札価格でも市の対応は
変わらない。
しっかりと業務をこなして欲しい」
とこれまたお役所らしいお言葉?

広島市では最低入札価格があり、
それを下回る価格で入札すると
本当にその価格で、できるかどうかの確認をするのですが?

赤穂市は制度が違うのでしょうが
350円では余りにも酷い話ですよね
昔ならこの社員切腹ものですが・・・・
ニコニコ~

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神戸時代の思い出
投稿日:2015年06月20日

2008年06月20日   佐々木徹ブログより

神戸時代の思い出

私は関西で現場監督の修行をしていました。
大阪や神戸の現場を転々としました。
新婚時代は河内長野の富田林市の喜志に住んでました。神戸のひよどり越えの住宅公団のアパートを8棟
12ヶ月くらいの工期で施工しました。
最初は富田林から阪神高速をぶっ飛ばして週に2回くらい
自宅から通い、後は現場寄宿舎で寝泊りしてました。

その時の現場主任は優しい人で支店に掛け合って頂き
現場の近くの神戸の鈴蘭台に引越しできました。

閑静な住宅地でそこでは高級文化住宅?に住みました。
何故か関西では所謂木造の世帯アパートを
こう呼ぶのです
若い新婚の夫婦がその高級文化住宅に8世帯住んでました。
その頃の思い出は次号で続きを書きます。

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初めての喫茶店
投稿日:2015年06月14日

2007年11月30日 ブログより


初めての喫茶店
私が中学一年生の時でした。
友人に偉くませた同級生がいました。
彼の口癖は「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」
と言うものでした。
早生れの私には意味が良く分からず「それどう言う意味なの?」
と問えば「佐々木君あなたこんな意味も分からないの?」
とバカにされました。 中学1年生でこんな言葉の意味なんて分かるはず無いですよね?
バカにされたお陰でこの言葉暗記しましたよ この友人たまらぬくらい理屈たれでした。
議論すると必ずこっぴどくやられました。 彼の父親と彼と私の母親と私で何故か町に出ました。
何の用事で出たのかは忘れました。
彼の父親に喫茶店に誘われ行きました。
私にとっては初めての喫茶店 何を頼んでいいやらも分からず「佐々木君何にする?」
と言われみんなと一緒のコーヒーを頼みました。
コーヒーカップに砂糖にミルクにスプーン・・・・
さてどうやって飲むのか頭は真っ白 友達の飲み方をそっくり真似てコーヒー飲みました。
わざわざコーヒーカップを回して左手で飲みましたよ・・・・
彼が左利きなのにそれ真似て
すると彼の父親曰く「アレ佐々木君も左ききだったっけ?」
私は顔から火が出るほど恥ずかしくて
口でモゴモゴと訳の分からないこと言いました。
喫茶店でコーヒー飲む時、たまにその事思い出し
一人で苦笑いする事があります。

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親孝行の鏡
投稿日:2015年06月11日

 2007年10月24日   佐々木徹ブログより


親孝行
「親孝行したい時に親はなし」という諺があります。
私は10ヶ月の間に父親、母親と続けて亡くし
まさに身にしみて思いました。
最近は「親孝行したくないのに親はいる」と
戯言みたいな不遜な諺?があるようですが?
しかし私の従兄弟に親孝行の鏡みたいなひとがいます。
年はもう63歳くらいだと思います。
柔道を広陵高校でしていて大学は拓殖大学に行きました。
東京で土木の会社を興して成功して神戸にマンションを
所有しているようです。
その従兄弟はお母さんに何十年も五万円づつ仕送りをしています。
経済力があるといえばそれまでですが・・・・・
商売は良い時も悪い時もあるので何十年も継続するのは
並たいていでは有りません。
それと驚くなかれ毎晩7時に東京から能美島のお母さんの所に
電話をするそうです。
一日も欠かさず まさに親孝行の鏡だと皆さん思いませんか?
いやはや脱帽です

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