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社長ブログ

墓参りに一家で行きました。
投稿日:2011年08月16日

8月13日に能美島に家族で行きました。

今回は小さい頃からお世話になった叔母さんの初盆でした。

私の親父のふたつ違いの妹さんです。

病弱だった母親の代わりに夏休みには姉と二人で小学生の頃は2週間くらい泊まって

面倒を見て貰いました。

親父が晩年能美島で暮らす様になってからも親身になって面倒を見て頂きました。

仏前にお供えする花を近所の花屋さんに予約して取りに行って能美島に出発したのが間違いでした。

9時に出発して着いたのが12時過ぎ・・・

3時間もかかりました。

例年は7時過ぎには出ていました。

それでも音戸大橋の手前の方から渋滞してました。

今回はアイエイチアイの手前の方から大渋滞でした。

次男一家は別々に行き、早く出たので11時ごろ着いたと連絡が入ったので昼食を

夢タウンに買いに行かせました。

父や母のお墓詣りだけ済ませて昼食を済ませました。

それから叔母さんの家の仏様を拝みに行きました。

従弟のひとつ下の裕二君が居て叔母さんの昔話に花が咲きました。

それから親戚のお墓を3つほど回りました。

丁度炎天下の真っ盛りで暑かったです。

能美の家に帰りひと休みしました。

長男、次男一家は4時過ぎに嫁さんの実家に帰りました。

何故か?女房も次男の車で相乗りで帰りました。

結局柴犬リキと二人で?能美の家でまったりと過ごしました。

広島市内と比べると、とても過ごしやすかったです。

海に近いのと家の周りに沢山の庭木があるので涼しいのでしょう・・・

一晩の積りが二晩泊まりました・・

チデジ対応してないのでテレビが見れないのが不便でした。

それとIPADでインターネットが家の中で繋がらないのが不便でした・・・

車の中も自分の駐車場では繋がらず道路まで出て車の中でフェイスブックしました。

不便な事はありましたが・・・わがふるさとが一番居心地が良いですね!

リタイヤしたら能美の家で自給自足で暮らそうと思います。

野菜を畑で作り魚は海で釣って・・・






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女房は私の中学校のクラスメートでした。
投稿日:2011年08月11日

私と女房は中学3年の時のクラスメートです。

中学3年の時に島根県から転校してきました。

ショートカットでボーイッシュな印象でした。

席がたまたま後ろ前になりました。

消しゴムを貸してくれと声をかけたのが初めの言葉だったと思います。

まさか後に結婚する様になるなど思っても見ません。

また当時は隣のクラスに全校の男子生徒憧れのKさんがいました。

高嶺の花と思いながらも私もKさんに憧れて恋心を抱いていました。

時がたち、女房は高校卒業後、広島相互銀行に勤務して、私は日大の建築に入りました。

私が大学の3年生の時に中学のクラス会がありました。

中学校の宿直室のあった別棟でありました。

その時に男女に分かれて結婚ゲームをやり、カップルを決めると言うようなゲームでした。

最終的に結婚までゴールしたのは女房と私だけでした。

私はそのゲームの後、直感的に「わしはこの子をお嫁さんに貰うのでは・・」と勝手に思いました。

ずっ~と後に、そのことを話すと女房は「ええ!そんなゲームしたかいねえ?」と一蹴されました。

どうもその頃から自己中心的に物事を考える素地があった様です。

(さらに…)

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お前やっと分かったんか?
投稿日:2011年08月7日

私の親父は大正元年生まれでした。

91歳で逝きました。

職人気質ではありましたがなかなかの商売人でもありました。

能美島で大工の修行をして建築請負業をやっていました。

43歳で知り合いのいない広島市に家屋敷を売り払い一家で出てきました。

それこそ寝食を忘れるくらい馬車馬のように働きました。

小さい頃の思い出すと親父は日曜祭日なしに働いていました。

78歳で社長を私に譲り黒子に徹してくれて倉庫の片付けや現場の掃除・片付け

残材の運搬などを一生懸命にやってくれました。

今思うと頭が下がる思いで一杯です。

当時なんでもっとねぎらいの言葉をかけて上げなかったのだろうと悔やみます。

「後悔先に立たず」とはその通りです。

その親父が念願の生まれ故郷の能美に終の棲家を建てたのはもう80歳になってからです。

広島の自宅から能美島までフェリーを使わず陸送で毎日通いました。

自分自身が造成工事の手伝いからやりました。

おまけに通うのは高速料金がもったいないと言って呉のアクアラインを使わず

一般道を軽トラで走って行き来しました。

多分2時間近くかかったのではないでしょうか?

毎日疲れて帰ってくる親父に「おとうちゃんフェリーで行けばええのに・・」

すると親父は私に「徹!フェリーはバックでの乗せんにゃ行けんけん、

バックは年取って苦手になったけん、陸送の方が楽じゃあ」と答えました。

私は親父の言葉を丸呑みにしてました。

私が陸送で行かずにフェリーで能美島に行った事がありました。

すると最新のフェリーは前から入れて前から出れる様になっていました・・・

だまされた!親父はフェリー代がもったいなくて陸送してたのか・・

帰って親父に「親父今頃のフェリーは前進で入れて前進で出せるじゃあない?フェリー代が勿体ないから

わしに嘘ついてたん?」

親父が答えて「当り前よ!お前やっとわかったんか?贅沢が出来るか!

フェリー代はなんぼう取られる思うとんやあ~」・・・・

昔の人はあくまで辛抱人です。

親父は草葉の陰で私ら兄弟の無駄ぶりを見て嘆いているでしょう・・・

お前ら何やっとんか!

「贅沢は敵だ」親父の口癖の言葉でした。

創業者の思いを噛みしめて辛抱せねばと思う今日この頃です・・・




(さらに…)

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