私の生い立ち
私は、瀬戸内海に浮かぶ能美島の沖美町是長で生まれ、温
暖な自然環境と、人柄のやさしい土地柄に育まれながら、4
才まで過ごしました。私の父親は、大工職人から、工務店を
創業しました。大正元年生まれの気骨のある職人気質のある
男です。私は、長男ということもあったのでしょう、小学校
の四年生の頃から、夏休みなどにはよく、現場の清掃、片付
けを、手伝わされていました。
中学生にもなると、住宅の基礎のコンクリート打ちを手 伝っていました。当時は、今ほど専門業化されておらず、私 どもの会社では住宅の基礎も、自分の所で施工してました。 又、今と違い、生コンクリートをミキサー車が持って来る のではなくて、現場でミキサー( コンクリートを練る機械) に、砂・砂利・セメント・水を入れて練っていました。 リヤカーに、ミキサーやフネ( 現場でセメント袋からセメ ントを取り出して入れるもの) を運んでいて、同級生の女 の子にバッタリ会って、少し恥ずかしくて、顔を赤く した思い出もあります。 父親は、私の生来の手先の不器用さを見抜いていたせいか、 大学に行かせて、建築士の資格を取らそうと思ったのか、私 に大工の修業をしろとは言わず、日本大学の建築科へ行かせて くれました。