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社長ブログ

「K建設時代のN次長の思い出」
投稿日:2019年04月5日

K建設時代のN次長の思い出

私は昭和47年日本大学の生産工学部の建築科を卒業しました。

そして昭和47年から昭和53年まではK建設に所属していました。

本店は東京にありました。

当時で400億円くらいの完工高でした。

中堅の建設会社でした。




勤務は私の強い希望で大阪支店にして貰いました。

紹介者が大阪支店の支店長だったので希望がかなえられたのでしょう。

なぜ大阪支店を強く希望したのか?

この理由が不純?でした。

女房とは遠距離恋愛をしていました。

女房は広島で勤めていました。

当時K建設の1番広島に近いのが大阪支店だったからです。

逢引?するのに出来るだけ広島に近い所を希望したのです。(笑い)





当時大阪支店は全員で30名足らずの小さい支店でした。

建築の親分は当時30歳半ばのN課長でした。

大学は早稲田大学の理工学部の建築科を卒業されていました。

当時1級建築士を建築課のなかではひとり持たれていました。

体があまり強くなくてバセドーシ病が持病でした。



この人はどちらかと言うと営業型人間でした。

当時K建設はP教団に特命で入っていました。

富田林にある教団の本部にプレハブで現場事務所を土木部と

一緒に構えていました。




ある台風の時期の夜の事です。

夜になると雨風が強くて大変なことになっていました。

退社していたN課長がやって来ました。

「みんな今から手分けをして施設の見回りをしよう。」

「こんばんわ。K建設です!異常は有りませんか?

台風の点検で回っています。」

「この様に言ってまわろう。こういう時こそ営業の良いチャンスだ。」

当時まだ現場監督の2年生の私にはとても理解できませんでした。

と言うよりもわざとらしく感じました。




職人気質の私はどうもそういう手法は合わないのです。

しかし今思えばN課長は大阪支店の建築のトップです。

仕事を増やそうと必死の思いだったのでしょう。

私も後年、親父の会社を継いで仕事を取らなければいけない

立場になって初めて当時のN課長の思いが身にしみて分かりました。

私が辞める頃は大阪支店の建築部も大きくなりNさんは

課長から次長に昇格していました。

今でも当時の会社の仲間の事を時々思い出します。

もう40年以上前の遠い思い出です。




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