「私の生い立ち2 一級建築士、宅地建物取引主任者の資格取得」
広島工務店社長の小冊子家づくり7つの鉄則から
投稿日:2022年05月27日

父親は、私の生来の手先の不器用さを見抜いていたせいか、
大学に行かせて、建築士の資格を取らそうと思ったのか、
私に大工の修行をしろとは言わず、日本大学の建築科へ行かせてくれました。
今の女房とは、中学時代の同級生で、大学の3年生の時から付き合っていたので、
広島に就職するつもりで、地元のゼネコンの入社試験を受け内定していたのですが、
親父に勝手に断りに行かれて、東京の中堅ゼネコンに行く羽目になりました。
学生の分際で女(今の女房です)とチャラチャラしていたので、
広島に勤めさせたのでは修業にならないと思ったのでしょう。
その時は腹が立ちましたが、今となっては、その時の経験が非常に役に立ち、親父に感謝しています。
その会社では、希望して大阪支店に配属してもらい、
住宅公団、大阪府、民間などで、鉄筋コンクリート、鉄骨造等の多種多様な建物の現場監督として、6年余り勤めました。
親父も年もとって来たし、私が、一級建築士、宅地建物取引主任者の資格も取得した事もあり、
昭和53年に、親父の会社に入りました。
組織の大きい所から、小さな工務店に帰り、何から何まで親父のやり方が古く思えて、
帰った当初、2年ぐらいは親父といろいろなことでよく衝突しました。
今考えると商売のイロハもわからないのに、生意気なことを親父に言ったものだと、深く反省しています。
長男が4才、次男はまだ4ヶ月、女房にもすぐ事務所を手伝ってもらったので、
乳飲み子をかかえながらで、女房には苦労をさせました。
ちょうど第二次石油ショックの後で、仕事量もあまり無く、
女房と二人で、手作りのチラシを作り、会社の近隣地域を一軒一軒ポスティングしたりもしました。
今ではそれも良い思い出ですが、
現場監督しか経験のない私にとって、当時は、ドアホンを押すのが嫌で嫌でたまらなかった記憶があります。
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