懐かしい写真が出て来ました。 3代目の社長はまだ入社していません。 廿日市の工務店で大工の修行をしてました。 長男の順一郎は入社して現場監督兼営業の補佐をしていました。 色々あり建設会社は向かないと会社を辞めて 島根県の六日市で介護士の資格を取り 公的な介護老人ホームに勤めました。 3代目になる筈でした。 あまりに性格が優しく建設業には向きませんでした。 しかしお客様には好かれてなんで辞めさせたのか? と言われるお客様も沢山おられました。 創業者の佐々木順助は能美島の沖美町是永出身でした。 地元で大工の修行をして建築請負業を創業しました。 町の小学校等の公的機関の仕事もしてましたが 昭和28年に一旗挙げ様と広島市に出て来ました。 最初は皆実町、段原、東雲本町とアパート兼自宅を 段々と大きくしながら写真の東雲本町3丁目に 1階が鉄筋コンクリート造2階 3階に自宅を建てました。 大工職人あがりですが私より数倍商売人でした。 親父は生前徹は生真面目で一生懸命仕事する努力家だが もう少しハッタリをかます所があればなぁと姉に 言ってた様です。 この年に新しい国道2号線沿いの社屋を借金で買って リニューアルしていました。 腎不全になっていてこの年の10月9日に亡くなりました。 新しい会社の完成を待たずして亡くなりました。 去年私も代表取締役は退き相談役となりました。 親父は1989年に社長を退き会長になりましたが 私には殆ど口は出さずに東雲の倉庫を毎日の様に片付けてくれ 軽トラで瀬野川のゴミ捨て場に持って行ってくれました。 また東雲の倉庫でドラム缶で紙や段ボールや木切れを 燃やしていました。 匿名の投書が会社に来たので親父に迷惑だと投書があるから 辞めんさいと言うと匿名でよこすなんか 卑怯者のする事だと無視して当分辞めませんでした。 戸籍上は大正元年12月9日生まれでしたが 姉が順助が生まれたの夏の暑い日だったそうです。 本人は明治45年生まれだと言い張っていました。 大変ユニークな親父でした。







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