お馬鹿な小学生時代 私は小学校は皆実小学校でした。
マンモス小学校で1学年で10クラス以上ありました。
またクラスの人数も60人近くいた様に記憶します。
生まれは能美島のいなかっぺ大将・・・・
4歳の時に広島に出て来ました。
ハナタレ小僧で結構恥ずかしがり屋でした。
初恋の相手は深窓の令嬢、翠町の豪邸に住んでいました。
名前は伸子さんでした。
性を書かねば分からないでしょう?
いま思えば綺麗でも可愛くもなかったでしょうに・・・・
(伸子さんごめんなさい)
庶民の馬鹿ながきたれがお嬢さんに憧れたのでしょうか?
私の小学校時代の成績は中の上くらいでした。
当時の小学校は今では考えられない!
なんとクラスの成績を20番目くらいまで先生が名前を
黒板に書いて行くのです。
僕の親友のM君と私は何とか一番下の方に名前が出てきます。
一学期毎にわしの方が今度は上位だったと二人で
醜く言い争っていた事が懐かしく思い出されます。
M君は皆実高校から法政大学に行き県庁の職員になりました。
最近音沙汰がありません。
彼との思い出は尽きません。
私の中学校時代の憧れの君を取られたりもしたりで・・・・
今度また連絡を取り一献を傾けたいと思います。
小学生時代をいま振り返れば色んな失態をしたりで
「かなりのお馬鹿さんだったなあ~」
と恥ずかしくも懐かしく思いだします。
初めての喫茶店 私が中学一年生の時でした。 友人に偉くませた同級生がいました。 彼の口癖は「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」 と言うものでした。 晩生の私には意味が良く分からず「それどう言う意味なの?」 と問えば「佐々木君あなたこんな意味も分からないの?」 とバカにされました。 中学一年生でこんな言葉の意味なんて分かるはず無いですよね? バカにされたお陰でこの言葉暗記しましたよ この友人たまらぬくらい理屈たれでした。 議論すると必ずこっぴどくやられました。 彼の父親と彼と私の母親と私で何故か町出ました。 何の用事で出たのかは忘れました。 彼の父親に喫茶店に誘われ行きました。 私にとっては初めての喫茶店 何を頼んでいいやらも分からず「佐々木君何にする?」 と言われみんなと一緒のコーヒーを頼みました。 コーヒーカップに砂糖にミルクにスプーン・・・・ さてどうやって飲むのか頭は真っ白 友達の飲み方をそっくり真似てコーヒー飲みました。 わざわざコーヒーカップを回して左手で飲みましたよ 彼が左利きなのにそれ真似て すると彼の父親曰く「アレ佐々木君も左ききだったっけ?」 私は顔から火が出るほど恥ずかしくて 口でモゴモゴと訳の分からないこと言いました。 喫茶店でコーヒー飲む時、たまにその事思い出し 一人で苦笑いする事があります。