先回ビートルズの記事を書きましたが、昭和40年生まれの方から コメント頂きました。 私が昭和25年生まれだから私より15歳年下の方です。 リアルタイムでビートルズを知っているのは、 羨ましいと書かれていました。 その人はポールのコンサートは二回も行かれたそうです。 前に書いたように私はジョージ・ハリソンのコンサートを 見に行きそびれ、結局生のコンサートは見ていません。 ビートルズが日本の武道館でライヴした時、高校二年生でした。 凄く行きたかったのですが・・・ 勿論無理でした。 テレビの前で釘付け状態でまんじりともせずに見たことが つい昨日のようです。 何故かドリフターズが前座を務め「早く終われと叫んでいました」 アンコールなしのアット言う間の25分くらいのライヴ 正直な感想は「ビートルズってこんなにヘタクソ」 今思えば武道館の広さと当時の音響技術の悪さが原因なのかなあ~ と思いますが、当時はかなりガッカリしました。 ポールが一番ましでしたが、ジョンは声が出ず、ジョージはひどい 出来でした。 憧れのビートルズへの思いが強かっただけに 勿論それだからと言ってビートルズへの思いは変わらず 今もアコースティックギターでビートルズを熱唱しています。 カラオケでもビートルズ歌いまくっています。 57歳だんだん高音域が辛く出にくくなりましたが・・・ まだまだ頑張って歌い続けるつもりです。 これは2007年のブログです。 現在は68歳になりました。 ここ2年くらいギターも弾かなくなり、人前でのライブもしておりません。 来年から復活させようと思います。
ジョンとポール
10数年前衛星放送でビートルズの特番を見ました。 ジョージマーチンと言うビートルズの音楽プロデューサーが 「世間ではジョンレノンがビートルズの音楽を常にリードしてきていた。 と思われているが、ジョンがリードしていたのは ビートルズがやって来たヤアヤアまでで、それ以降はポールが ビートルズの音楽を主に進化させた」と言っていました。 マーチンは偉大な編曲家でもあり、ビートルズに楽曲の色んなアドバイス をしていたと、当時から言われていました。 又ビートルズの解散はジョンとポールの関係が悪くなったのが 原因と言われました。 小野洋子がジョンレノンと一緒になってから、小野洋子の出しゃばり でポールとの関係がますます悪化したようです。 ジョンはソロになってから「イマジン、ラブ、ウーマン、スターティングオーヴァー」 数々の名曲を生みましたが・・・・ 小野洋子と訳の分からないアルバム出して、男を下げました。 彼の様な天才も伴侶を選び損ねると、晩年を汚します。 ジョンも今天国で「洋子と出したアルバムを全部破棄したいと叫ん で入るのでは・・・・・
今年も福井の住宅会社の会長さんから福井の里芋送っていただきました。 60歳の時に独立創業されて10年で福井で有名な住宅会社にされました。 元々はセーレンと言う福井の上場会社に勤められて おられました。 商社だったのでミサワホームの福井の代表をされて住宅業界に参入されました。 住まい造りをするうちにプレハブ住宅に疑問を持たれ、在来工法の住宅会社を社内で立ち上げられました。 しかしとことん追求される方で、本社の意向と合わなくなり、退社されて自分で創業されました。 元々商社マンで建築の専門家ではありませんが 建築の木組みや木材への造詣は驚くほどです。 素晴らしい住宅を造られています。 いまは息子さんに代を譲られて悠々自適に過ごされています。