力道山の必殺の空手チョップもボボさんの必殺の
ジャンピングココバットに比べると
かすんでしまうくらいでした
大学時代に内藤と言う福岡出身のアイビールックで決めた
今で言うイケメン兄ちゃんがいました
アイビールックって分かる人いますかね?
私の大学時代は大流行でした
最もカッペスタイルの私はしませんでした
と言うか出来ませんでした
その彼の話で今でも思い出す面白い話があります
日大は全国から学生が集まっていました
女性自身とかセックスを地方地方で呼び名それぞれに
違うと言う話で盛り上がった時の話です
「広島(私のあだ名)福岡では女性自身とセックスする事をボボと言うのだが
プロレスラーでボボブラジルがやってきた時は困ったよ」
内藤の家族構成はお父さんお母さん彼と当時高校生の妹さん
一家団欒で楽しく会話しながらプロレス中継を見ていると
リングアナウンサーが出てきて声高らかに
赤コーナー250ポンド、ボボブラジルのコール
今まで楽しく家族で語らっていたのに
家族全員沈黙
シ~ンとなったそうです
妹さんは顔を赤らめて下をうつむいたままだったそうです
それ以来夕食時にプロレス中継は見なくなったそうです
ボボブラジルが日本に来てプロレスしている時は
福岡は違う意味でのボボブラジル旋風が吹き荒れて
大変だったと言うお話でした
それも中学3年生の時に島根県の山奥の頓原からの転校生でした
最も山奥のど田舎と揶揄する私は能美島の沖村出身です
負けず劣らずの田舎生まれそして育ち
偶然にも転校してきた彼女は私の隣の席になりました
美人だったから興味は有りましたが当時私は他のクラスの
マドンナの事が好きでした
時は流れて大学の3年生の時に中学3年F組のクラス会が
段原中学校の集会所?の様な所で有りました
その時にゲームで結婚ゲームと言うのが有りました
男女のカップルで組んで最後まで勝ち残ったカップルが
結婚にゴールするという様なゲームでした
そして私と彼女(今の妻)が何と最後まで勝ち残ったのです
当時ロマンチストで文学青年?だった私の事
太宰治にも傾倒していた甘ちゃん
男と女は生まれた時から結ばれる男女は
赤い糸で結ばれている
私は脳に電流が流れました(と言うのは嘘ですが)
何とはなしに「わしはこの子と本当に結婚する運命に有るのでは」
と思いました
そうです運命の赤い糸を感じたのです
そんな訳で紆余曲折は有りましたが
今結婚して今年で44年目なのだ
運命の赤い糸も切れかけた事もありましたが?
最早、運命の赤い糸は木綿製からステンレス製に変わり
錆びても貰いさびくらいで永遠に切れそうにありません
写真のリーのトレーナーは平成16年にアメリカのシアトルで買いました。
メーカーさんの招待でアメリカのシアトルに大リーグの観戦と住宅展示場を見学に行きました。
当時はヤンキースには松井選手、マリナーズにイチロー選手が在籍してました。 5月の中旬だったと思います。 少し寒いので薄手のパーカーを持って来るように言われました。 当日はパーカー着て震えながらの観戦でした。 それに比べヤンキー達は半袖のテーシャツで平気で観戦してました。 体感温度が日本人とは違う様です。 出発の朝に殆ど寝たきりになってた母親に今からアメリカに行くからと伝えると「徹話があるんだが」と言われました。 「時間がないから帰ったらゆっくり聞くから」 とアメリカに行きました。 私が帰国した時は母親は入院していて、意識がありませんでした。 それから1週間で母親は亡くなりました。 このトレーナーを見るたびに、なんで話を聞いてやらなかったのだろうと、後悔しています。