私が大阪の修行から帰った時親父は69歳でした。
しかしとてつもなく馬力が有りました。
その頃はまだ住宅の基礎は無筋の時代私の会社では基礎工事も
自前でやってました。
2007年09月09日
ここ数回住宅の話を書きました。 真面目に住宅の話を書くと何故かブログのアクセス数が 減少するようです。 今回は亡き父親の話を綴ります。 創業者の父は協力業者の人に絶大なる信用が有りました。 私が社長になってからも何人もの業者さんに「会長は太っ腹で人情家で良い人だ」 何度言われた事かそれに比べて私はと言外の言葉が有ったのでしょう。 大阪から帰ってきていきなり専務、偉そうげに大手みたいな事言って この馬鹿息子何考えているんだ。 多分多くの業者の方にそんな風に思われていたのでしょう。 私の親父は支払日に小切手を切り業者さんの所に配金に回っていました。 集金ではなく配金です。 月末締めの翌月10日にオール現金払い、 会社の常用の大工さんは月15日と月末の2回払い。 おまけにイレギュラーに盆前と正月前は特別に支払いを前払いしていました。 「何故そんな事するんね」と馬鹿息子が問えば「商売人は盆正月にはお金がいるものだ、お前も今に分かるよ」と教えられました。 仕事が終わりお施主さんに請求書を出します 会社は全て現金払いそれも末締めの翌10日払い・・・ お金が余っているわけもなく集金が遅れれば 運転資金を銀行から借りなければならない。 請求書出してもなかなか支払いが無いので私が「親父電話で催促しようか?」 と言うと「徹もう少し待ってみようやあ、誰もお金払わんと思っている人はおらん 都合が付かないから払えないんじゃろうもう少し待ってあげようや」 そんな話の翌日に振込みの電話があったり、支払いするから集金に来てください と連絡が有った事は一度や二度ではないのです。 「昨日電話せんで良かったね」と親父に言うと 満面笑みで「良かったのお~」答えてました。 何十年も手堅く商売をして来た親父が、経験から学んだ処世術だった のでしょうか? でもそんな事は出来そうで出来ない私は改めて思います。 親父は偉かったなあ~と・・・・・ 「徹手形だけは貰わないし切らないこれだけは守れよ」 何度も言われました。 その事は守り続けています。 私は自分の息子に死んでからこんな風に述懐して貰えるかしら 「親父は偉かったなあ~」と・・・・ 「親父はエラかったなあ~言う事がきつかった」と思われる位が 関の山でしょうが・・・ こんな駄洒落は寒いですね!
2007年09月05日
72歳のスーパーじいさん
大工からのたたき上げの親父は何でも出来ました。 廿日市のN様では庭師でもないのに庭を池から庭木、土間の石張りから全て谷口さんと言う 片付け名人(このおじさんは本当に片付けをさすと天下一品でした) と使い二人でやったほどです。 植木市では造園屋に混じりせりで植木を買っていました。 木が好きで能美島では家を建てる所に造成の段階で木や灯篭を 沢山置いたものだから造園屋が来るものだと近所で思われていたようです。 色んな意味でユニークな親父でした。
2007年09月28日のブログ