憧れの映画スター
それに思い出すのは小林旭
日本の現代設定なのに、何故か馬にまたがりおまけにライフルまで
肩に担いで悪い奴を撃ちまくる
おまけにギターを肩にかけて気障な歌を甲高い声で歌ってました。
その頃も思いましたよ
このお兄さんなんか格好つけすぎちやぁう!
時代が少し過ぎますと高倉健さん、私が高校時代でしょうか?
「網走番外地シリーズ」何シリーズも見た記憶があります。
無口でしゃべる時もボソボソと格好良かった目茶強いし
映画のヒーローだから強いのは「当たり前田のクラッカー」ですが
このフレーズが理解できない世代の人は御免なさい
高校時代の友人で高倉健に憧れていた友人がいました。
同じように無口を決め込んで、肩で風切って歩いていました。
「仁義亡き戦い」と言うのも有りましたよね。
松方弘樹なんぞも出ていました。
映画と言うものは、見るものを仮想の世界に引きずりこむので
やくざ映画を見た後は自分がその主人公になった気持ちになり
映画館を出るときには、皆さん何故か肩で風を切って歩かれます。
マッカーサーがしたまさかの事?
飛行機からパイプ燻らせながら降り立つマッカーサー司令官 テレビで何度も映し出される光景を見た人は多いでしょう。 余り知られていませんが、太平洋戦争中にマッカーサー将軍が アメリカ軍司令官に就任した時の事です。 前任者の記録ノートを引き渡されました。 今で言えば前任者の引継ぎ書の様なものでしょう。 マッカサーは助手に「そのノートは全部焼きなさい」と 命じたそうです。 驚く助手に更に付け加えて言ったそうです。 「私は前任者と何の関係も無い。問題が起こったら、直ぐに決断する その場」と言い放ったそうです。 慣例の囚われない人で有ったようですが 敢えて悪条件の中に自ら入って行き、自分の判断能力を信じたのでしょう! 成功が見える成功?のノートを常人は焼いたりしませんよね マッカーサーだったから、日本の終戦処理は上手く行った のかもしれませんよね?![]()
日本語って難しい
私のお客さんで娘さんがニュヨークに嫁がれた人が居ます。 例のハイジャックが突っ込んだツインタワービルに数ヶ月前まで 勤められていて命拾いをされたそうです。 旦那さんはセルバニアの人で音楽家です そのお孫さんが夏休みに日本に二人45日も来られたそうです。 何しろニュヨーク育ち英語にセルバニア語に日本語 まさにバイリンガーですよね。 しかし3カ国のなかで一番苦手なのは日本語? 奥さんの話に思わず笑ってしまいました。 お孫さんが奥さんと旦那さんに「君たちそうじゃないでしょう?」 とか言われたそうです。 夫婦見合わせて変な表情にこれは言葉の使い方がおかしい と気づいたのか慌てて言い換えたそうです。 「お前たちそうじゃあないでしょう?」と 日本語の使い方は難しいですよね 色々有ってしかし最後の頃は、何かに足をぶつけた時に 日本語で大声で「痛い!」と言ったので 大分日本語に慣れたなあ~と安心されたそうです。 咄嗟に英語ではなく日本語が出たから・・・ と言われてました。
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