昨日の晩ご飯は能美島の佐々木製麺所の冷麦でした。
私の本家が製麺所をしています。
叔父さんと叔母さんがしていましたが、私より2歳の従兄弟夫婦がしています。
天日干しで作っています。
能美島のきれいな井戸水で作っています。
腰があり塩味が少し効きとても美味しいです。
長年にわたり、夏はお中元に冷麦、冬はお歳暮にうどんをしていました。
しかし奥さんが長年無理をして股間節を痛めてるおられ
この夏で製麺所をたたむ事にされました。
大評判だったので皆さんに惜しまれています。
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戦前までの日本の家のスタイルはプライバシーの 大変乏しい家でした。 つまり昔の家は、家族の生活の中で個人の生活が 確保しにくい間取りでした。 しかし敗戦で日本はすべての価値観が根底から覆されました。 すまいのありようもしかりです。 個人の生活の確保が難しい家の造るようだから日本人は 自己確立が出来なかった。 それも反省を促す要素となりました。 この様なわけで戦後の家には、家の中で個人生活の領域を 確保する事がだいいちの命題となりました。 寝食分離、就寝分離が必要となったわけです。 茶の間では寝ない?就寝分離とは親と子供、 男の子と女の子は兄弟でも 部屋を別にして寝ると言う事です。 就寝分離は、日本人のそれまでの寝方を 欧米風に変える意味をもっていました。 昔の家は目的別に部屋を設けてはいませんでした。 だから子供部屋がそれぞれ与えられる事はまれでした。 貧乏子沢山で子供の数も多かったのでそれぞれ独立した 子供部屋なんて与えられる余裕もなかったのです。 親と一緒に雑魚寝をしていたわけです。 勉強はちゃぶ台でするか縁側に置いた机でしたわけです。 寝食分離、就寝分離は、部屋を使用目的別に 用意することになりました。 これに生活様式の洋風化が伴ないました。 いつの間にか和室が消えて行き、洋間が増えて、 洋間は閉鎖的であると言う 思い込みから、独立した小部屋の集積となり、 小間割り間取りが日本の家の一般的な間取りに 到達してしまいました。 建築家 吉田桂二 一昨年亡くなられました。
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昨日は8時半に会社に集合して業者さん8人で
専務運転のアルファードで呉三和町の現場調査に行きました。
山陽自動車道で高屋で降りて東広島呉道路で行くのが一番だと聞いてました。
ところが当日朝山陽自動車道が渋滞との情報が入り急遽海田大橋から熊野に向かうルートに変えましたが、海田大橋を抜けたところで大渋滞、結局山陽自動車道に引き返しました。
所要時間は3時間半かかりました。
12時前に現場に着いて現調終わったのが 2時頃でした。
昼ご飯はせっかくだからとみんなで呉冷麺の名店の珍来軒に行きました。
私ら8人がら入ってすぐに暖簾を中にしまわれました。
店の人に災害支援の方ですか?
と勘違いされました。
呉の本通りにある店ですが、10センチくらい浸水したそうです。
呉冷麺初めて頂きましたが大変美味しかったです。
8時半に会社に集合して会社に帰ったのが3時45分
長い現調でした。
朝呉方面はいずれにせよ渋滞しています。
帰りは1時間15分でした。
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