私は所謂二代目です。 親父は大工の職人から叩き上げで 佐々木順建設を創業しました。 大正元年12月7日生まれ91歳で永眠しました。 親父は「わしは本当は?明治45年生まれだ」と言ってました。 理由は兄妹の話によるとどうも夏の暑い日に生まれたとか? 明治から大正に年号が変わった年に生まれたから・・・・・ 親父の気骨からして「わしは明治生まれだ」と言いたかったのでは と思います。 今日のブログのタイトル「仁義を切られた私」の時代は 私が小学校の多分5年生か6年生今は資材置き場にしている 東雲本町に住んでた頃の話です。 玄関先で人の声、私が出てみると強面のお兄さんが いきなり小学生の私に仁義を切り始めました。 例の「お控えなすって手前生国は・・・・」映画とまるで一緒 私はおったまげて「お父ちゃん大変だやくざが来て仁義をきっとる」 親父は落ち着いて玄関まで行きました。 私はこわごわ覗き見しています。 親父は大きな態度で仁義切っているやくざを見下ろしながら一言 「お前わしの所は堅気の商売をしているんだ。 仁義なんか切るなそんなものお前らの世界で通用しても 一般の世間では通用せん。第一そんなもので動じるわしではない。 びた一文出す金など無い。お前らが来る所ではない 帰れ帰れ」親父の毅然とした態度に やくざの人はそそくさと帰りました。 「う~ん自分の親父ながらかっこいいなんと肝っ玉の据わった 男なんだろうと」ますます親父を尊敬しました。 無鉄砲と言えば無鉄砲とも言えるお話しでした。
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