佐々木順建設は広島の工務店、
自然素材の木の家でつくる注文住宅
二世帯住宅もおまかせ下さい

社長ブログ

参議院選挙
投稿日:2007年07月30日

昨日の日曜日は久しぶりに休みになるかと思いましたが
打ち合わせが急遽入り仕事しました。
どうしても日曜、祭日は休みになりません。
それではお前はいつ休むのか?問われれば・・・・・
それはさておき、お客様の打ち合わせが終わり、
参議員の投票に女房と行って来ました。
老眼鏡忘れてしまい比例代表制の投票の時に
自由民主党が見つかりません。
見えない目でやっと探すとずっ~と下のほう、
つい大きな声を出しました。
「何で自民党がこんな下にあるん
後で女房に「恥ずかしい、何で投票所であんな大きな声だすん
みんな見てたよ」と叱られました。
私は人の目を気にしない所があるのです。
血液型はA型なのですが・・・人からはO型と思われます。
本当は神経質で繊細な典型的なA型なのですが・・・・
時折O型B型のような行動に?出る事があります。
こんな事書くとO型B型の人に怒られますね。
ごめんなさい。
予想通りと言うか自民党の大敗となりましたね
それにしても出口調査と言うのは正確ですね。
いままでの統計データーなどから予測するのでしょうが・・・
予測と結果が殆ど変わりませんね。
自民党もあれだけヘマやら失言続きでは致し方ないですね。

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銀河クルーズ
投稿日:2007年07月29日

恒例行事にしていた「呉海上花火大会クルーズ」が
今年は宇品の花火大会と日程が重なり、
フェリーがチャーター出来なくなり、
やむなく中止にしました。
屋台を協力業者さんと一緒にやったり、ゲームをしたり、
私の船上アコーステックライヴをやったりしてました。
似の島学園の生徒さんと引率の先生、OBのお客さんを、
無料招待をしていました。
一回目は530人あまりの人が参加しました。
しかし7月の最後の土曜日暑さも真っ盛りでの手伝いは大変です。
事前の準備も大変で中止になってホットしたのは、
社員と協力業者さんでしょう。
しかし今年で創業70周年の会社としては、
代わりのイベントをどうしてもやらなければなりません。
それで代案として浮上したのが「銀河デイナークルーズパーテイ」です。
2階を貸切にして90人位しか入りませんが8月4日に予定しています。
金曜日に下見に女房と孫の2歳の心寧を連れて行きました。
心寧は車から降りると女房に「ばあ~ばあ~おんぶして」
桟橋から銀河までの距離が長くて女房もヘトヘト
打ち合わせがすみ帰り道「ばーあ~ば~あ疲れているから歩きなさい」と
私が言うと「嫌だ」の一言
私が「じい~じい~が抱っこしてやる」と言うと
又「嫌だ」と言います。
「ココじい~じ~い嫌い」かと聞くと、
何たることかサンタルチア「うんじい~じい~は嫌い」
時々そう言われるのですが、悲しくなります
所でここだけの話ですが、嫁の親はお父さんお母さんとも、
心寧に名前で呼ばしているのです。
ある日心寧が「M子さんが・・・・・」と言います。
初めはピンと来なかったのですが・・・
女房に聞いてみて分かりました。
お父さんも名前で呼ばしている事も・・・・
私も対抗意識を燃やしたのですが?まさか同じように「徹さんと言いなさい」
ともいう気はしないのでせめてもと思い、
「ココじい~じ~いはおじいちゃんと呼びなさい
「ば~あ~ば~あ~はおばあちゃんと呼びなさい」
と教えると「おじいちゃん、おじいちゃん」と何度も可愛く反復します。
「ば~あ~ば~あ~はなんと言うんじゃたっかいねえ」と言うと
「おばあちゃん、おばあちゃん」と何度も可愛く反復します。
せめて「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばそうとしたのですが
会うとやはり「じい~じい~、ば~あ~、ば~あ~」と言います。
どう呼ばれようと勿論孫の可愛さには変わりはありません。
本当は今日引越しするはずでしたが、木曜日に新居に行ってしまいました。
今までは隣に居たので再々可愛い孫の顔が見れたのですが・・・・・
女房も心寧たちが引越ししてから元気がありません。
リキ、ヤマト、スミレ三匹のペットに心の癒しを、
求める日々に戻りつつあります。

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金太郎
投稿日:2007年07月28日

三日続けて大阪の修行時代のお話です。
前にも書いたかどうか、私は小学校低学年から父親の厳しい
星一徹張りの英才教育で?建築現場で鍛えられた性で腰と腕っ節
が強くなりました。
中学高校と腕相撲、相撲と向かうところ敵なしと言うと
少し言いすぎかな?鳴らしたものです
今は「昔相撲部屋にいました」と冗談言うと、体型からか
「ええ本当ですか何部屋?」
と本気にされるくらいですから
大阪の現場監督時代、土木の土方、建築の鉄筋工、型枠大工、鍛冶屋
・・・・・色んな職人と腕相撲しては連戦連勝いい気になっていました。
ある日現場事務所に、金太郎みたいな、いかにも腕っ節の強そうな、
若者が「佐々木さんと言う監督さん居ますか」
と尋ねて来ました。
私が「佐々木はわしじゃがどうしたん」と
答えると「監督さんえらい腕相撲強いそうですが、一丁もんでください」と
ニヤニヤ笑いながら言います。
いかにも自信ありげに「そうでもないけど一丁やるか」と私も言いました。
その後こいつ、とんでも無くなめたこと言いました。
「実は私は本来左利きなんです。」
私が「それじゃ勝負にならんがね」と言いますと
「いいや右でも殆ど負けたこと無いから右でいいです」
私は鶏冠に来つつ、いざ勝負
いくら力入れても、びくともしません。なおも力んでいると
「監督さんの力そんなもんかね」と
にやりと笑います。
このクソガキと、なおも踏ん張ってもびくともしません。
「それじゃあ行きますよ」
の掛け声一つで私は体ごとふっ飛ばされて、あえなく轟沈
若い造作大工の勝ち誇った表情と、打ちのめされたわたしの哀れな表情
私は「お前見たいなバカちから、会ったこと無いわ」
と言うのがやっとでした。
こいつがしばらくして私の現場に造作大工として仕事に来ました。
今度は「監督さん相撲とろう」と何度もひっこく言います
私も現場監督の立場上、これ以上無様な姿は?見せられません。
「お前見たいな怪物とは、相撲なんか取れん」
と何度も逃げていたのですが、業を煮やした彼はある日、
私に突然組み付いて来ました。
組んだ瞬間これは勝てると思いました。(相撲も柔道も組んだ瞬間相手の力量がわかるものです。)
腰が軽いのです私は得意の上手投げで投げ飛ばしました。
腕相撲で完膚無きまで叩きのめしたはずの私に負ける筈はない、
と彼は思ったのでしょう。
二度三度挑みかかる端から投げ飛ばしてやりました。
「お前なあ、腕相撲と相撲は違うんじゃあ~
お前腰が弱すぎる今度足腰もっと鍛えて出直して来い」と言ってやりました
私が溜飲下げたと言う自慢話で終わってしまいました。
長い話に最後まで付き合って下さり感謝感謝です

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僕はボクサー
投稿日:2007年07月27日

今日も私の大阪の修行時代の話をしましょう。
大阪のT市にあるP教団の聖地で、特命で建築も土木も仕事をさせて頂いてました。
当時の本社の常務が何でも教団の女性の幹部の中学生の頃家庭教師をしていて
それが縁で仕事が貰える様になったとか・・・・
土木の3年先輩のFさんは、普段は非常に優しい良い人でした。
M工業大学の土木出でボクシング部に所属していて、ボクシングを
私たち後輩に、教えてくれたりもしました。
しかしこの先輩酒を飲むと性格が豹変しました。
大阪の南のクラブによく連れて行ってくれましたが(後で判明したのですが下請けの土木の社長の付けでした。
お目当ての女の子(30過ぎていて当時の私から見るとおばさん
が他から指名がかかり席を離れると、途端にご機嫌が斜めになります。
やれ店長を呼べ挙句の果ては、他の席のお客さんに八つ当たり
「あいつはわしに眼つけた、ぶちのめしてやる」と本当に殴りかかろうとします。
私は「先輩やめてください」と必死で止めるのですが・・・・
よく本当に喧嘩になって刺されなかったものだと、今考えても冷や汗出ます。
酔いつぶれた先輩を、タクシーに乗せ阪神高速を飛ばして、
現場事務所へ帰りました。
勿論先輩は、すでに夢の中
翌朝昨夜の出来事話すと、決まって「佐々木君わしゃ何も覚えとらん
普段は本当に良い人なのに・・・・・
私が会社を辞めて数年して風の便りによると、酒を飲んでの失敗が重なり
会社を辞めざるを得なくなり、辞められたようです
酒は飲むもの飲まれてはいけませんね。
私は大の甘党ですから、酒での失敗はありませんけど
タイトルの僕はボクサーなんて駄洒落昔はやりました
最近の女の子は飲み屋の子でも駄洒落言うとサブーなんてほざきます。
我々中年は憤懣やるかたないですね

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住まい塾
投稿日:2007年07月22日

昨日今日と住まい塾を開講しています。
私は余り人前でしゃべるのは、得意ではありませんのですが・・・
そうも言っておれません。
人前でも歌えと言われれば何ぼでも歌いますが
昨日の受けられたお客さんは大手のプレハブメーカーの展示場巡り?もされてる様で
メーカーの営業マンから、在来工法は家を建てるまで日数がかかるから
工事途中雨が降ると木が濡れても乾かないでそのままやるから湿気が抜けない?
と言われたが大丈夫か?と聞かれたり、珪藻土は後でぼろぼろ落ちてきてメンテナンスがクロスに較べて倍くらいかかるから考え物だと言われた?
在来は地震に対して弱いから危険だとも言われた?
まあ~よくも根も葉もない出鱈目を言うもんだとあきれました。
メーカーの営業マン本当にそういう風に教育されて思っているのか?
そうじゃないのを知っているのに嘘をあえてついてるのか?
いずれにしても困ったものだと思いましたよ
一つひとつ説明はしましたが・・・・
もしこれを読まれている方で在来工法に不安や疑問をもたれている方
プレハブ工法、ツーバイ工法について知りたい方
その他住まい造りについて疑問をお持ちの方是非住まい塾に是非ご参加ください。
今日は終始真面目な仕事モードになりました
明日は学生時代の思い出の競馬の話でも書こうと思ってます。
乞うご期待

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時は流れて
投稿日:2007年07月21日

昨日はA様邸の地鎮祭を行いました。
Aさんのおじいさんが私の父と同郷で
おばあさんに「佐々木さんの所に相談に行ってみなさい」
と声をかけて頂いたのがご縁で、工事をさせて頂く事に成りました。
昨日地鎮祭におばあさんが出席され、50年ぶり位にお会いしました。
私がご挨拶すると「あなたが徹君、昔と随分感じが違うねえ~」
と言われました。
私は子供の頃痩せ型で紅顔の美少年?タイプだったから、
今の肥満体の不細工なおっさんを見て、正直な言葉が出たのでしょう
何せ47,8年ぶりにお会いするのですから・・・・・
一旗あげようと私の親父が広島に出てきて数年して
Tさんも同じ様に広島に出て来られたこととか・・・
親父が広島に出たての頃、お金に苦労して一度誰にも内緒で
おばさんにお金を工面して頂いたこととか・・・・(お世話になりました)
お袋のこととか昔話に花が咲きました。
私もおばさん(おばあさんと書いたりおばさんと書いたり交差しますが)
の30代のイメージしかないので、最初は戸惑いましたが
話しをしているうちに昔のおばさんの面影が思い出されてきて
大変懐かしく思いました。
私の記憶違いで二人の姉妹と思ってましたが、三人姉妹で年の構成が
私の兄弟とまったく一緒だと言うことも知りました。(私の所は一番上が姉で下に弟)
わたしの父と母はすでに数年前続いて亡くなりましたが、
まだまだおばさんの元気な姿に再会して、いつまでも元気で
長生きして欲しいと心から思いました。

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傷心のうちに帰りました
投稿日:2007年07月20日

昨日は日帰りでの東京行き、さすがに疲れたのか今5時45分です。
寝過ごしてしまいました。
昨日は案の定、住宅の吉田桂二先生の添削散々でした。
狭小地で間口が狭い特殊なプランなのですが・・・・・
こんなことなら違う普通のプランを出せば良かった思いましたが
後の祭り。
秋吉君とともに傷心のうちに、のぞみで缶ビールで自棄酒喰らい
ながら帰りましたよ
先生が代案でプランニングして頂いたものを、頂きました。
人前で添削して頂き散々酷評されて、体は大きいがいたって
気の小さい私は大いに傷つきましたが、代案の先生の直筆の
プランを頂いたので秋吉君にも「この直筆のプラン頂けたから東京まで
恥かきに来た甲斐があった」と力なく語り
自分自身の心を慰めました。
今日はA邸の地鎮祭があります。
幸い今のところ天気は良さそうです。
今日一日頑張ります。

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昨日務所から出てきたばかり?
投稿日:2007年07月14日

私は昭和47年日大の建築を卒業、k建設の大阪支店に配属されました。
今日はその頃のエピソードを話します。
その頃の建設業界は、まだ封建的な体質が残り、
現場で働く職人さんも色んな人が混在していました。
大阪のある宗教法人の教主さんの邸宅の建設した時の話です。
当時の請負が確か1億2千万くらいの工事でした。
私は豊中市の保育所の工事が終わり、応援でその現場を手伝っていました。
現場にいるとどこかで「おい」と言う声がします。
私は自分を呼んでいるとは露知らず無視していました。
「おい、お前耳が聞こえんのか?」
なんと今日から現場に入った塗装職人がわたしを呼んでいたのです。
私はプッン切れました。
「職人の分際で、現場監督にお前とは何事か!仕事もうせんでいいから直ぐ帰れ!」
一触即発、危険な空気が流れました。
職人と殴りあいしても仕方ないので、現場事務所へ帰り、
塗装会社の担当者に電話しました。
「今日来た職人は帰らしたから、明日別の職人手配してくれ!」
何かあったんですかと聞くから事情を話しました。
すると「佐々木さん、あいつはよその現場でほかの職人と喧嘩して、
ヘラ(ペンキ屋さんが使う道具)で相手を切りつけ大怪我させ、
傷害罪で刑務所に入っていて、昨日出てきたばかりなのです」
私は思わず言いましたよ、塗装会社の担当者に・・・・
「頼むからそんな怖い人よこさんでくれ」
話せばキリが有りませんが、いろんなことがありました。
大阪での修行時代は・・・
今日も早く(今は4時前)目が覚めました。
外は雨、今日から3日間東雲のモデルハウスの本オープンです。
大型の台風が来ています。
見学会どころではなくなるかも知れません。

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地域の気候風土に合った家
投稿日:2007年07月9日

最近はテレビや本だけでなくホームページも加わり、家を建てる人の住宅の情報量と言えば数年前に比べると大変な量となっております。
最近家を建てる予定の人とお話する時に、必ず質問されることが二つあります。
断熱のことと、耐震性能のことの二つです。
佐々木順建設さんの建てる家は外断熱ですか内断熱ですか?断熱材は何を使われてますか?サッシュは樹脂サッシュですか?勿論ペアーガラスですよね?耐震に対しては大丈夫ですか?
大体以上の質問は少し家の勉強?をされてる方はどなたもされます。
特にメーカーの展示場周りをされてる方は特にこの二点こそは
住まい造りの中で一番重要な事であると信じ込まされてる方が多いようです。
広島で家を建て様とされてる方又最近すでに家を建てられた方は
どうおもわれますか?
気候温暖な瀬戸内地方で冬温度が零下を下がる様なことは
一度あるかないかの様な
地域に家を建てるのに高気密高断熱住まいが本当に必要でしょうか?
「一年中春の様に半そでで暮らせる家」と言うキャッチコピーも
見かけたこともありますが、そんな家にすみたいと思われますか?
北欧や北米で建てる家を何で広島に建てるのでしょうか?
北海道や東北の様な日本でも寒冷地で建てるならまだわかりますが。
大きな地震が日本のどこかで発生すると大手メーカーは一斉に
免震工法のテレビコマーシャルをここぞとばかり数多く流します。
我々がしている木造在来工法の家も新耐震基準に変わり、
阪神大震災クラスの地震が来ても大丈夫なようになってます。
今まで広島で地震により倒壊した家は1軒もないし、
未来マグネチュード7クラスの
地震が広島に来る確立は0.1とか0.2パーセントとか
NHKの地震の特集番組で、報道していました。
過去大きい地震が来た地域又これから先その可能性が大きいと
指摘されてる地域ではないのですから、
大手メーカの全国画一的な家造りに振り回せられ無いようにしましょう。
北欧の高気密高断熱の家を建てられ「何がこんな家が省エネ住宅なんだ、騙された」
怒り心頭された話も5年ほど前に、身近で体験しましたので、
その話も後日書きます。
今日もえらく長くなりました。ごめんなさい。

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モデルハウス
投稿日:2007年07月7日

今日東雲本町のモデルハウス「和ら木の家」がプレオープンします。
オーナ様の短期型のモデルハウスで3ヶ月間レンタルさせて頂きます。
このプロジェクトを始めて10ヶ月やっとオープンにこぎつけました。
初めての事で試行錯誤の連続でした。
今まではすべての家が完全なフルオーダーで完全なフリープラン。
「和ら木の家」と「安ら木の家」と二つのバージョンの仕様を決めカタログ製作
タイプ別のプラン、外観、内観のパースの作成それぞれの見積もり積算エトセトラ
することが山ほどありました。
アウトソーシング、自社のスタッフ、皆さんのお陰だと心より感謝しています。
今回のモデルハウスは外観はモダン、内部に入ると、伝統工法の「登り梁工法」
を採用して、家族空間とリビング階段を吹き抜けにして、広がりのある空間になりました。
柱、造作材、内部の建具もすべて国産の無垢の檜材を使用、床には24ミリの滑ら松
壁天井は珪藻土、越前和紙の壁紙、杉松の無垢など全てに自然素材を使用しています。
今日は生憎天気は芳しく無いようですがですが、沢山の人に来て頂けたらと、祈るばかりです。

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