佐々木順建設の2代目社長の佐々木徹です。
最近近くの仁保姫神社に散歩も兼ねて早朝の参拝を始めました。
柴犬りき君が足が弱り散歩が出来なくなりました。
それで私も朝の唯一の運動しなくなりました。
これでは体がなまるばかりです。
先日来広した姉のアドバイスもあり早朝参拝始めました。
時間的には30分足らずですが、急勾配の64段の石段を登のはかなりの運動になります。
また毎朝の神社の参拝は気持ちいいです。
三日坊主にならないように頑張ります。
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佐々木順建設の2代目社長の佐々木徹です。
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佐々木順建設の2代目社長の佐々木徹です。
能美の家の整理箪笥の上にプラスティックの名刺入れの中に 亡き親父の名刺が幾らも使われぬまま沢山入ってます。 私はそれを見るたびに胸が締め付けられるほど痛くなります。 「わしはなんて気遣いの足らない息子だったんだろう」 私が親父から社長を交代したのは昭和62年私が37歳親父は75歳でした。 75歳と言ってもスーパーマンの親父はまだまだ元気一杯でした。 まだまだ現役の社長でバリバリやりかたかっのを無理やり引退させた 帰来もありました。 勿論それからも3~4年は会社に出てきて、縁の下の支えになってくれました。 東雲の倉庫や廿日市の倉庫なども綺麗に残材の整理をしたり今考えると 頭が下がります。 そして80歳を超えて能美島に終の棲家を建てて、主には能美島に帰り 生活をする様になりました。 自分でみかんや八朔や無農薬の野菜などを作り、 私たち家族に食べさせてくれました。 もう仕事から離れたので名刺はいらないと思い、いつの間にか 会長職に有りながら会社では親父の名刺を作ってあげなくなっていました。 私は能美の家に行き、そのプラスティックの名刺入れに沢山残っている 親父の取締役会長の社のマークの入ってない街中の? 印刷店で作らしたであろう変哲の無い白黒の名刺を見るたびに 胸が痛くなります。 なんで親父に会社のちゃんとした名刺を持たせて上げなかったんだろうと 晩年は少し痴呆気味だった親父・・・ それでも創業者会長としての誇りや息子に継承させている喜びもあり 田舎の人にも名刺を配りたかったんだろう そう思うと慙愧の念に耐えられなくなります。
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